大須賀筠軒(読み)おおすが いんけん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大須賀筠軒」の解説

大須賀筠軒 おおすが-いんけん

1841-1912 幕末-明治時代の漢学者
天保(てんぽう)12年生まれ。神林復所(かんばやし-ふくしょ)の次男昌平黌(しょうへいこう)にまなび,安積艮斎(あさか-ごんさい)に師事。帰郷後,陸奥(むつ)平藩(福島県)藩校佑賢堂の頭取となる。維新後は福島師範の教師,二高の教授などをつとめる。詩文をよくした。大正元年8月28日死去。72歳。名は履。字(あざな)は子泰。通称次郎。別号に鴎渚,舟門。著作に「牛蠱行(うしのこくまいり)」「筠軒詩稿」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大須賀筠軒」の解説

大須賀 筠軒 (おおすが いんけん)

生年月日:1841年12月24日
明治時代の地方史研究家。第二高等学校教授
1912年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む