大高重成(読み)おおたか・しげなり

朝日日本歴史人物事典 「大高重成」の解説

大高重成

没年貞治1/正平17(1362)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。重長の子。通称次郎。伊予権守。正慶2/元弘3(1333)年足利尊氏の六波羅攻めに加わり,5尺6寸(約1.7m)の大太刀を片手で操って敵の両足を苦もなく切り落としたという。室町幕府の初代小侍所に任じられ,暦応1/延元3(1338)年以降,4回若狭(福井県)守護となっているが,いずれも在職期間は短い。尊氏とその弟直義が争った観応1/正平5(1350)年に始まる観応の擾乱では,当初直義方に属して一族の 高師直に対抗したが,師直の死後は尊氏方にくみした。文和1/正平7(1352)年から翌年までは幕府引付頭人を務めているが,その後の動静は不詳。禅宗に傾倒し,師夢窓疎石が直義のために著した参禅入門書『夢中問答集』に,南禅寺住持竺仙梵僊の跋文(巻末の文)を得て康永3/興国5(1344)年10月に刊行。また同年,竺仙の弟子大年法延を招いて荒廃していた分国若狭の安国寺を再興している。同寺は重成の氏名から2字をとって高成寺と改称した。

(河村昭一)

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改訂新版 世界大百科事典 「大高重成」の意味・わかりやすい解説

大高重成 (だいこうしげなり)

南北朝時代の武将。生年不詳。没年は1375年(天授1・永和1)以降。法名法智。高一族。室町幕府下,小侍所頭人のち引付頭人。3度若狭守護となる。元弘の乱に際して六波羅探題攻めに参加。幕府内では足利尊氏派の同族高師直らと比べ目だたぬ存在でその行動は柔軟。足利直義(ただよし)派と目されて所領収公されたこともあるが観応の擾乱(じようらん)をうまくのりきり,乱後の幕政に重きをなした。《夢中問答集》の開版で著名。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大高重成」の解説

大高重成 おおたか-しげなり

?-1362 南北朝時代の武将。
足利尊氏につかえる。建武(けんむ)の新政の崩壊後は,幕府小侍所(こさむらいどころ)や若狭(わかさ)守護をつとめ,康永3=興国5年炎上した若狭安国寺を再興して安国高成(こうじょう)寺とした。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では足利直義(ただよし)に味方して一族の高師直(こうの-もろなお)に敵対した。師直死後は尊氏方に復帰し引付頭人(ひきつけとうにん)となる。康安(こうあん)2=正平(しょうへい)17年4月死去。通称は次郎。

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