天下三分の計(読み)テンカサンブンノケイ

故事成語を知る辞典 「天下三分の計」の解説

天下三分の計

強敵がいて天下全体を支配するのはむずかしいので、天下を三つに分けて支配するように持っていこうとする作戦のこと。

[使用例] おそらく二つの分権は、二つのままではすみますまい。孔明の天下三分の計もだめでした。天下二分は、もっと、烈しい対立の相を呈しましょう[吉川英治*新書太閤記|1939~45]

[由来] もともとは、「史記―淮わい陰いん侯こう伝」で、蒯かい通とうという参謀が、将軍の韓かん信しんに提案した作戦。紀元前二世紀の終わり、秦しん王朝が滅び、項こう羽うと劉りゅう邦ほうが争っていた際に、韓信に第三勢力となるように勧めたもの。韓信はこの作戦には従わず、後で後悔することになりました。その後、紀元後の二世紀、後漢王朝末期の混乱の時代に、諸しょ葛かつ孔こう明めいが、曹操そうそう、孫そん権けんに次いで第三の勢力となることを劉りゅう備びに提案。この作戦が有名となり、一般的にはこちらを指して使われます。

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世界大百科事典(旧版)内の天下三分の計の言及

【諸葛孔明】より

…たまたま劉表を頼って荆州に来た劉備は,その評判を聞くと,207年(建安12)に孔明の庵を訪れ,3度目にやっと会見できた。いわゆる〈三顧の礼〉にこたえた孔明は,劉備のために〈天下三分の計〉を説き,華北を制圧した曹操に対抗して漢室を復興するためには,江南に割拠する孫権と連合し,みずから荆州と益州(四川省)を確保して独立すべきことを勧めた。劉備はこの計略を喜び,孔明を不可欠な人物としてその関係を〈水魚の交わり〉にたとえた。…

※「天下三分の計」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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