蜀漢(読み)ショッカン

デジタル大辞泉 「蜀漢」の意味・読み・例文・類語

しょっ‐かん〔シヨク‐〕【蜀漢】

中国三国の一。正式の国号は漢。後漢滅亡後の221年、蜀(四川地方中心景帝後裔こうえいである劉備が建てた国。都は成都。263年、に滅ぼされた。蜀。

しょく‐かん【蜀漢】

しょっかん(蜀漢)

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精選版 日本国語大辞典 「蜀漢」の意味・読み・例文・類語

しょっ‐かんショク‥【蜀漢】

  1. 中国、三国時代王朝」の通称。→[ 二 ]

しょく‐かん【蜀漢】

  1. しょっかん(蜀漢)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蜀漢」の意味・わかりやすい解説

蜀漢
しょくかん
Shu-han

中国,三国時代の三国の一つ。正式の国号は漢。黄初1 (220) 年曹丕 (そうひ) が後漢の献帝の譲りを受けて魏朝を建てると,蜀 (四川省) に拠っていた劉備は前漢の景帝の子孫と称し,みずから漢の皇帝正統を継ぐとして章武1 (221) 年漢の皇帝の位についた。劉備の死後,丞相諸葛亮は後主劉禅を助けて国政の運営に努力した。諸葛亮の陣没後,暗愚な劉禅のもとで国力が傾き,炎興1 (263) 年司馬昭の率いる魏軍のため滅ぼされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「蜀漢」の解説

蜀漢
しょくかん

221〜263
三国時代の一国
劉備 (りゆうび) が諸葛亮 (しよかつりよう) の計により四川 (しせん) にはいって勢力をたくわえ,成都を都とし,魏 (ぎ) ・呉 (ご) と天下を3分した。のち魏と戦って敗れ,子の劉禅 (りゆうぜん) のとき滅亡。

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改訂新版 世界大百科事典 「蜀漢」の意味・わかりやすい解説

蜀漢 (しょくかん)
Shǔ Hàn

(三国)

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百科事典マイペディア 「蜀漢」の意味・わかりやすい解説

蜀漢【しょっかん】

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「蜀漢」の解説

蜀漢(しょくかん)

蜀(しょく) ①

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蜀漢」の意味・わかりやすい解説

蜀漢
しょくかん

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世界大百科事典(旧版)内の蜀漢の言及

【蜀】より

…221‐263年。正式の国号は漢であるが,蜀すなわち四川省を中心版図とするので,普通に蜀漢とよんで他の漢国と区別する。前漢景帝の末裔と自称する涿郡(たくぐん)(河北省)出身の劉備は,後漢末黄巾の乱につづく群雄割拠の中で各地に転戦したのち,三顧の礼をもって諸葛孔明(しよかつこうめい)を幕下に迎え,その献策に従って208年(建安13),呉の孫権と同盟し,南下する曹操を赤壁に破って荆州(湖北,湖南)を確保し(赤壁の戦),天下三分の計の実現に着手する。…

※「蜀漢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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