天別豊姫神社
あまわけとよひめじんじや
古城山の中腹、神辺平野が一望にできるところに位置し、本殿は東を向く。参道が川北の三日市と七日市の境より一直線に通る。祭神は豊玉姫命であったが、のちに速進雄命・事代主命・吉備津彦命・火之加具土神が合祀された。旧県社。「三代実録」元慶二年(八七八)一一月一三日条によれば天別豊姫神に従五位上が授けられており、「延喜式」神名帳の安那郡に「天別豊姫神社」が載る。のち神辺大明神社とよばれるようになったらしい。江戸時代にはもっぱらその呼称が用いられ、「水野記」には甘濃厳大明神社とも記される。明治元年(一八六八)福山藩の調査で式内社とされ、同二年天別豊姫神社となった。
当地方は古くは穴海とよばれたごとく海水の湾入する湖沼地帯であり、網付などの地名が残るが、漁民が海神の女である豊玉姫命(豊姫とも略称)を祀ったことによって神社の原形ができたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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