天智天皇山科陵(読み)てんぢてんのうやましなりよう

日本歴史地名大系 「天智天皇山科陵」の解説

天智天皇山科陵
てんぢてんのうやましなりよう

[現在地名]山科区御陵上御廟野町

かがみ山南麓に築かれた上円下方墳。

天智天皇は舒明天皇を父、皇極(斉明)天皇を母とし、大化改新後七年間の称制期間をへて近江大津宮(現大津市)即位律令国家の基礎を固めたが、天智天皇一〇年一二月に大津京で死去した。「日本書紀」天武天皇元年五月条に

<資料は省略されています>

と造陵のための人夫徴発を記すが、じつはそれが近江朝廷方の壬申の乱への準備に利用されていることを示している。

天智天皇陵は「延喜式」諸陵寮に「山科陵 近江大津宮御宇天智天皇、在山城国宇治郡、兆域東西十四町、南北十四町、陵戸六烟」とあり、宇治郡山科郷に営まれたので正式には山科陵とよばれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む