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額田王 ぬかたのおおきみ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

額田王
ぬかたのおおきみ

万葉集』初期の女流歌人。『日本書紀』に鏡王の娘とあるが,鏡王については不明。同じ万葉女流歌人で藤原鎌足の室となった鏡王女 (かがみのおおきみ) の妹とする説もある。大海人皇子 (天武天皇) に愛されて十市皇女 (とおちのひめみこ) を産んだが,のちに天智天皇の後宮に入ったらしい。

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デジタル大辞泉の解説

ぬかた‐の‐おおきみ〔‐おほきみ〕【額田王】

飛鳥(あすか)時代の歌人。7世紀末までは在世。鏡王(かがみのおおきみ)の娘。大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武天皇)の寵(ちょう)を得て十市皇女(とおちのひめみこ)を産み、のちに天智天皇に召された。万葉集に十余首の長歌・短歌を収録。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

額田王【ぬかたのおおきみ】

万葉初期の歌人。生没年不詳。はじめ大海人(おおあま)皇子(天武天皇)に愛されて十市(とおち)皇女を産み,のち天智天皇に召された。十市皇女は天智天皇の子大友皇子弘文天皇)の妃となったが,大友皇子は大海人皇子に敗れ自死している。
→関連項目蒲生野

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

額田王 ぬかたのおおきみ

?-? 飛鳥(あすか)時代の歌人。
鏡王の娘。舒明(じょめい)朝(629-641)のなかばごろに生まれる。大海人(おおあまの)皇子(天武(てんむ)天皇)との間に十市(とおちの)皇女を生むが,のち大海人皇子の兄の天智(てんじ)天皇の後宮にはいったという。作歌は斉明(さいめい)朝から持統(じとう)朝までの長期におよび,作品は「万葉集」におさめられている。天皇,皇太子の代作歌もおおい。額田姫王(ひめみこ)ともいう。
【格言など】秋の野のみ草刈り葺(ふ)き宿れりし宇治の京(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思ほゆ(「万葉集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

額田王

生年:生没年不詳
大和時代の皇族,歌人。『日本書紀』天武天皇の後宮の記事に「額田姫王」とし,鏡王の娘で,十市皇女を生んだとある。鏡王の系譜は不明。『万葉集』に歌を残す鏡王女は,額田王の姉かともいわれるが,定かでない。生年については,十市皇女の夫大友皇子が大化4(648)年生まれであり,またふたりの間の子葛野王が慶雲2(705)年に卒し,『懐風藻』に年37とあることを手掛かりに,舒明朝(629~641)に求め,舒明9(637)年,あるいは2年などの説が行われている。『万葉集』においては,斉明朝(655~661)に歌人としての活躍をみせ始め,続く天智朝(662~671)を頂点として,持統朝(687~696)のおそらくは初期におよぶが,天武朝(672~686)の作と確認されるものはない。壬申の乱勃発(672年6月)直前の,天智天皇の山科御陵より退散するときの歌(巻2)をもって,実質的には活動を終えた観がある。長歌3首,短歌9首。このうち,「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」などの2首(巻1),および近江国に下るときに作る歌の長反歌(巻1)は,作者について,各々斉明天皇,天智天皇との異伝が存する。いずれも,額田王が,その歌才を認められ,天皇の意を体して代作したためと捉えるのが穏当か。 天智朝の漢風への強い志向を反映して,春秋の優劣を判別した歌(巻1)には,漢詩文の対句,同語反復の技法が取り込まれ,天智天皇を思う「君待つと我が恋ひをればわがやどの 簾動かし秋の風吹く」(巻4・8)は,閨怨詩の影響を受けたとされる。ただし後者には仮託説があり,蒲生野遊猟時の歌(巻1)もまた,薬狩 のあとの宴席での座興とみる向きがある。従来詮索の的となった,額田王をめぐる天智天皇と大海人皇子(天武天皇)兄弟の葛藤については,なお問題が残ろう。宮廷を活躍の場としつつも,確かな技巧と格調の高さをみせ,個性に根ざした作歌の,先駆的な開花を示した歌人として位置づけられる。<参考文献>谷馨『額田姫王』,伊藤博『万葉集の歌人と作品』上

(芳賀紀雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

ぬかたのおおきみ【額田王】

《万葉集》第1期(舒明朝~壬申の乱)の女流歌人。生没年不詳。《日本書紀》天武天皇条に,鏡王の娘で,はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁して十市皇女(とおちのひめみこ)を生んだとあるほかは,伝もつまびらかでない。父の鏡王に関しても不明。出生地についても大和国,近江国の2説あるが,どちらとも決定しがたい。《万葉集》の題詞によれば,額田王はのち天智天皇に召されて近江大津宮に仕えた。娘十市皇女は天智天皇の子大友皇子(弘文天皇)の妃となり,葛野王(かどののおおきみ)を生んだが,壬申の乱(672)によって夫は自尽,のち皇女自身も急逝した。

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大辞林 第三版の解説

ぬかたのおおきみ【額田王】

七世紀後半の万葉歌人。鏡王おおきみの女むすめ。大海人皇子(天武天皇)の寵を得て十市皇女とおちのひめみこを生んだ。万葉集に十余首を残す。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

額田王
ぬかたのおおきみ

生没年未詳。『万葉集』初期の代表的女流歌人。作品は長歌三、短歌九首。『日本書紀』(天武(てんむ)紀下)に「天皇初メ鏡王ノ女(むすめ)額田姫王ヲ娶(め)シテ、十市皇女(とをちのひめみこ)ヲ生ム」とある。父の鏡王は伝未詳だが、姫王(皇女=内親王に対して2世~5世の女王を示す)とあるので皇族である。若いころ大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武天皇)に召されて生んだ十市皇女の年齢などから推して、舒明(じょめい)朝(629~641)なかばごろの生まれか。持統(じとう)朝(686~697)の作があるので、60歳ぐらいまで生存し、長期の作歌活動を続けたが、主要作品は斉明(さいめい)・天智(てんじ)両朝の14年間に集中する。初め斉明天皇に仕え、主として天皇の意を代弁して呪歌(じゅか)(祝意あるいは願望などを込めて祈る歌)を詠じたらしく、雄渾(ゆうこん)で格調高い作がある(例歌参照)。斉明の崩御で一時宮廷を離れていたらしいが、天智天皇の近江(おうみ)遷都のころ、ふたたび召されたようで後宮に列した。おそらく歌人としてであろう。天智時代は、開明的気風のもとに大陸的みやびの世界を和歌に導入し、優美、繊細な新風で宮廷サロンの花形的存在となった。春秋の美の優劣を判定する歌「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ……秋山われは」は有名であり、衆を代表して歌う立場などとともに、次代の柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を呼び起こす先駆をなす点で評価が高い。その経歴および作品から、天智、天武両天皇との間に、王をめぐって深刻な三角関係があったとする見方が一部にあるが、おそらく誤りであろう。[橋本達雄]
 熟田津(にきたづ)に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな
『谷馨著『額田王』(1960・早稲田大学出版部) ▽中西進著『万葉集の比較文学的研究』(1963・桜楓社) ▽神田秀夫著『初期万葉の女王たち』(1969・塙書房) ▽橋本達雄著『万葉宮廷歌人の研究』(1975・笠間書院) ▽伊藤博著『万葉集の歌人と作品 上』(1975・塙書房)』

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世界大百科事典内の額田王の言及

【万葉集】より

…全期を通じて,歌は質朴な口承歌謡から巧緻繊細な個人の抒情詩へと変貌・脱皮していったといえよう。 (1)第1期の作者に舒明・斉明・天智・天武の諸天皇,中皇命(なかつすめらみこと),倭大后(やまとのおおきさき),有間皇子,大津皇子,大伯皇女(おおくのひめみこ)および額田王(ぬかたのおおきみ)があげられる。彼らはすべて王族に属しこの期の社会と文化の頂点に立つ人々だが,その作風は気宇大きく清朗で力強い。…

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