天満八太夫(読み)てんまはちだゆう

改訂新版 世界大百科事典 「天満八太夫」の意味・わかりやすい解説

天満八太夫 (てんまはちだゆう)

万治から元禄(1658-1704)ころ江戸を中心に操り座を興行,活躍した説経太夫。《江戸名所記》(1662)の禰宜町浄瑠璃の条に,八太夫が説経小栗を上演している画がある。1661年(寛文1)説経太夫としてはただ一人,石見掾(いわみのじよう)を受領。後に説経は凋落(ちようらく)し〈いたはしや浮世すみ天満節〉(《風俗陀羅尼》,1760)といわれるまでになったが,天満節の曲節は長く続いて江戸の説経を代表していた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 武夫 岩崎

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天満八太夫」の解説

天満八太夫 てんま-はちだゆう

?-? 江戸時代前期の説経太夫。
明暦,万治(まんじ)のころから江戸で説経節操り人形芝居を興行。寛文元年(1661)受領して石見掾(いわみのじょう)藤原重信と名のる。元禄(げんろく)5年ごろ引退。天満節ともいわれたが,宝暦のころにすたれた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の天満八太夫の言及

【説経節】より

…小太夫の名跡は宝暦(1751‐64)ころまで続いたようである。江戸は三都の中でも説経節が最も盛んで,正保(1644‐48)ころから佐渡七太夫が堺町で興行し,万治(1658‐61)ころには天満(てんま)八太夫が禰宜町で興行を行った。この八太夫は1661年に受領して石見掾藤原重信を名のった。…

※「天満八太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む