日本歴史地名大系 「柳本古墳群」の解説
柳本古墳群
やなぎもとこふんぐん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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奈良盆地東縁南部には箸中山(はしなかやま)(箸墓(はしばか))古墳を中心とする桜井市箸中・茅原(ちはら)古墳群、天理市柳本古墳群と、同市西殿塚古墳(衾田(ふすまだ)陵に比定)を盟主とする大和(おおやまと)古墳群が南北に連なり、畿内(きない)でも前期古墳の集中がもっとも著しい。広義にはこれらを包括して柳本古墳群とよぶこともあるが、狭義の柳本古墳群の首座は渋谷向山(しぶたにむこうやま)古墳(景行(けいこう)陵に比定、全長300メートル)と柳本行燈山(あんどんやま)古墳(崇神(すじん)陵に比定、全長242メートル)である。ともに前期Ⅱ期にあっては全国的にも比類のない巨大前方後円墳であり、4世紀代の近畿政権の大王墳と考えられる。柳本古墳群内をさらに小区分すると、〔1〕西部の上ツ道(かみつみち)沿いの平地部の群、〔2〕南部の渋谷向山古墳を中心とする群、〔3〕北部の柳本行燈山古墳を取り巻く群、〔4〕東の谷間に密集する竜王山(りゅうおうざん)群集墳の4支群に大別される。〔1〕には大形内行花文(ないこうかもん)鏡を出土した柳本大塚(墳丘長92メートルの前方後円墳)のほか、行燈山古墳の西方300メートルを隔てて黒塚古墳(全長130メートル)があり、1997年度(平成9)に発掘調査され、後円部に設置された南北長約8.3メートルの竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)の内部から銅鏡、刀剣、甲冑(かっちゅう)などが発見された。34面の鏡のうち33面は中国の魏(ぎ)から邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)に贈られた確率が高いとされる古式の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)であったことから、一躍有名になったが、前期Ⅰ期にさかのぼる古墳と推定される。〔2〕の南部には環頭大刀(かんとうのたち)や馬具などを豊富に出土した前方後円墳珠城山(たまきやま)1、2、3号墳が並ぶ。〔3〕には銅鏡24面を朱詰めの木箱に納めていた前方後円墳の天神山古墳や双方中円墳の櫛山(くしやま)古墳がある。〔4〕には横穴式石室墳と横穴墓600基以上が、大和でも小型古墳の密集度のもっとも高い特異な後期群集墳を形成している。
[石部正志]
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