天童城跡(読み)てんどうじようあと

日本歴史地名大系 「天童城跡」の解説

天童城跡
てんどうじようあと

[現在地名]天童市天童 城山

市街地東の独立丘陵である舞鶴(まいづる)山(二四一・八メートル)にあった中世城館跡。平地からの比高一三二メートル余で、急峻な要害をなし、山形盆地を一望する。大手は東側で、かつてはその東を羽州街道が南北に走っていたという(横街道)。城主や家臣らの日常生活の場は、南麓台地の現在の北目(きため)集落付近といわれる。山頂本丸から西と南北に支脈が走り、それぞれの頂部が平坦地となっており、八つの館が置かれていたと伝える。最初の城主は北畠顕家の孫天童丸といわれるが、詳細は不明。その後天授元年(一三七五)成生(なりゆう)庄を本拠としていた里見頼直(斯波兼頼の孫)が入ったと伝え、以後里見氏は天童氏を称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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