朝日日本歴史人物事典 「天英院」の解説
天英院
生年:寛文2?(1662)
江戸幕府6代将軍徳川家宣の御台所。近衛基煕の娘。照姫君と称した。諱 は煕子。延宝7(1679)年江戸の桜田御殿に住居していた甲府城主時代の家宣と婚姻。1男1女を儲けたが,ともに夭折。宝永1(1704)年家宣が5代将軍徳川綱吉の養嗣子に定まったため,江戸城西丸大奥に入った。生家である近衛家との連絡は密で,朝廷に関わる幕府の方針をしばしば事前に知らせた。7代将軍徳川家継(生母月光院)没後の将軍継嗣問題では,紀伊藩主徳川吉宗を推し,吉宗就任後も厚過された。従一位に任じられたため一位様とも称される。墓所は芝増上寺。<参考文献>『徳川諸家系譜』1・2巻
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報