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天英院 てんえいいん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

天英院 てんえいいん

1662?-1741 江戸時代前期-中期,徳川家宣(いえのぶ)の正室。
寛文2年?生まれ。近衛基煕(このえ-もとひろ)の娘。延宝7年甲府城主徳川綱豊(家宣)と結婚,2児を生んだがともに夭折(ようせつ)した。宝永6年家宣が将軍になると御台所(みだいどころ)となり,正徳(しょうとく)2年家宣が死ぬと出家した。寛保(かんぽう)元年2月28日死去。80歳?名は煕子(ひろこ)。通称は一位様。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

天英院

没年:寛保1.2.28(1741.4.13)
生年:寛文2?(1662)
江戸幕府6代将軍徳川家宣の御台所。近衛基煕の娘。照姫君と称した。諱 は煕子。延宝7(1679)年江戸の桜田御殿に住居していた甲府城主時代の家宣と婚姻。1男1女を儲けたが,ともに夭折。宝永1(1704)年家宣が5代将軍徳川綱吉養嗣子に定まったため,江戸城西丸大奥に入った。生家である近衛家との連絡は密で,朝廷に関わる幕府の方針をしばしば事前に知らせた。7代将軍徳川家継(生母月光院)没後の将軍継嗣問題では,紀伊藩主徳川吉宗を推し,吉宗就任後も厚過された。従一位に任じられたため一位様とも称される。墓所は芝増上寺。<参考文献>『徳川諸家系譜』1・2巻

(久保貴子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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