太田市場村(読み)おおたいちばむら

日本歴史地名大系 「太田市場村」の解説

太田市場村
おおたいちばむら

[現在地名]但東町太田

村の東、太田川の右岸に位置し、出石・宮津道(丹後道)が通る。中世太田庄の遺称地。同庄を名字の地とし、鎌倉時代に但馬国守護を勤めた太田氏の居城とされるかめヶ城跡があり、その西麓の字大将軍館だいしようごやかたほり内館うちやかたは同氏の居館跡と伝える。近世領主の変遷は口矢根くちやね村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高一一八石余。寛文一一年(一六七一)の指出帳(太田家文書)では高一二八石余。文化二年(一八〇五)の御好明細帳(同文書)によると、冬場には杜氏として山城伏見や摂津灘酒蔵に出稼に行く者もいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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