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太田資晴 おおた すけはる

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美術人名辞典の解説

太田資晴

徳川中期の大阪城代。通称熊次郎。若年寄資直の五男。陸奥国白川郡棚倉城主・寺社奉行・若年寄を経て、大阪城代・従四位下に進む。元文5年(1740)歿、46才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

太田資晴 おおた-すけはる

1696*-1740 江戸時代中期の大名。
元禄(げんろく)8年12月23日生まれ。太田資直の5男。宝永2年駿河(するが)(静岡県)田中藩主太田家2代となる。陸奥(むつ)棚倉藩(福島県)をへて,享保(きょうほう)13年上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)藩主太田家初代。5万石。奏者番,寺社奉行,若年寄をつとめ,19年大坂城代となった。元文5年3月24日死去。46歳。初名は資重,資在。通称は熊次郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の太田資晴の言及

【館林藩】より

…しかし徳松は83年(天和3)幼死したため,以後館林城は廃城となり,城付領は幕領のほか旗本領に細分された。1707年(宝永4)松平(越智)清武が2万4000石で入封して城を再築,在封中所領も5万4000石となったが,2代を経て武元(たけちか)のとき28年(享保13)奥州棚倉に転じ,太田資晴が代わって5万石で入封した。資晴は34年大坂城代になったため所領を大坂周辺に移され,館林城付領は一時幕領となったが,子資俊のとき旧領に復し,ついで46年(延享3)遠江掛川に転じた。…

※「太田資晴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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