奈半利城跡(読み)なはりじようあと

日本歴史地名大系 「奈半利城跡」の解説

奈半利城跡
なはりじようあと

[現在地名]奈半利町 立町

奈半利川河口の沖積平野西南部、現奈半利小学校の地に築かれた平城で、城主は長宗我部元親の部将桑名丹後守。永禄一二年(一五六九)安芸城(現安芸市)を攻略した元親は、やがてこの地にも侵攻、奈半利乗台寺岡じようだいじおか城を落し桑名丹後守にこの城を預けた。のち丹後守は奈半利城を築き移転したといわれる。

天正一七年(一五八九)の奈和利庄地検帳によると「城村しろのむら」に「城中詰」一反、「同し西二ノ塀」二〇代、「同し南二ノヘイ」二六代一歩の三筆が記載される。これが奈半利城の核心部分で、回りを一九筆の「ヤシキ」が固める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む