奈良武次(読み)ナラ タケジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「奈良武次」の解説

奈良 武次
ナラ タケジ


肩書
枢密顧問官,侍従武官長,軍人援護会会長

生年月日
慶応4年4月6日(1868年)

出生地
下野国(栃木県)

学歴
陸士(第11期)〔明治22年〕卒 陸大〔明治32年〕卒

経歴
主に砲兵畑を歩いて日露戦争にも参加。その前後にドイツに駐在し、帰国後は軍務局砲兵課長、支那駐屯軍司令官、軍務局長などを歴任。大正7年12月第一次大戦後のパリ講和会議に参謀本部付として派遣されたあと、9年7月昭和天皇裕仁の皇太子時代の東宮武官長となる。10年3月から半年間の皇太子の欧州訪問には供奉員を務めたが、11年から昭和8年に予備役となるまでは侍従武官長として側近にあった。その間、大正13年大将に昇進。のち男爵。昭和11年12月国体擁護在郷将校会を結成、組閣問題をめぐって宇垣一成内閣を流産に導いた。12〜21年枢密顧問官、のち軍人援護会会長を務めた。平成10年日記及び回顧録(大正元年〜昭和37年)が公刊される。

没年月日
昭和37年12月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「奈良武次」の解説

奈良 武次
ナラ タケジ

明治〜昭和期の陸軍大将,男爵 侍従武官長;枢密顧問官;軍人援護会会長。



生年
慶応4年4月6日(1868年)

没年
昭和37(1962)年12月21日

出生地
下野国(栃木県)

学歴〔年〕
陸士(第11期)〔明治22年〕卒,陸大〔明治32年〕卒

経歴
主に砲兵畑を歩いて日露戦争にも参加。その前後にドイツに駐在し、帰国後は軍務局砲兵課長、支那駐屯軍司令官、軍務局長などを歴任。大正7年12月第一次大戦後のパリ講和会議に参謀本部付として派遣されたあと、9年7月昭和天皇裕仁の皇太子時代の東宮武官長となる。10年3月から半年間の皇太子の欧州訪問には供奉員を務めたが、11年から昭和8年に予備役となるまでは侍従武官長として側近にあった。その間、大正13年大将に昇進。のち男爵。昭和11年12月国体擁護在郷将校会を結成、組閣問題をめぐって宇垣一成内閣を流産に導いた。12〜21年枢密顧問官、のち軍人援護会会長を務めた。平成10年日記及び回顧録(大正元年〜昭和37年)が公刊される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈良武次」の解説

奈良武次 なら-たけじ

1868-1962 明治-昭和時代前期の軍人。
慶応4年4月6日生まれ。ドイツ駐在後,陸軍省軍務局砲兵課長,支那駐屯軍司令官,軍務局長などを歴任。大正11年侍従武官長となり,昭和8年までつとめた。陸軍大将。枢密顧問官。昭和37年12月21日死去。94歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「奈良武次」の解説

奈良 武次 (なら たけじ)

生年月日:1868年4月6日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。大将
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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