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奥寺八左衛門 おくでら はちざえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥寺八左衛門 おくでら-はちざえもん

1626-1686 江戸時代前期の武士,治水家。
寛永3年8月生まれ。陸奥(むつ)津軽郡(青森県)奥寺村の人。浪人ののち盛岡藩士となり,作事奉行などをつとめる。寛文5年から和賀郡村崎野(岩手県北上市)の開墾に着手。和賀川から2本の用水堰(せき)をとおし,10ヵ村6891石の新田(奥寺新田)をひらいた。貞享(じょうきょう)3年1月7日死去。61歳。名は定恒。通称ははじめ市之丞。

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朝日日本歴史人物事典の解説

奥寺八左衛門

没年:貞享3.1.7(1686.1.30)
生年:寛永3.8(1626)
江戸前期の治水家。陸奥国(青森県)津軽郡奥寺村に生まれた。名は定恒,初め市之丞と称した。八左衛門は通称。父の右馬丞則定は浪人であったが,慶長5(1600)年岩崎一揆の際に活躍し,禄250石で盛岡(南部)藩の家臣となる。寛文5(1665)年,八左衛門は和賀郡村崎野の藩営新田の開発に着手,同9年松前騒動の際の功により松前藩主から開田資金3000両を借り入れ,また盛岡藩の許可を得て近村の農民のほかに囚人を労働力として動員,秋田藩阿仁銅山の鉱山師2人を招聘して,北上川の支流和賀川から用水堰2本を通し,延宝7(1679)年完成。元禄6(1693)年の新田検地では6891石余を打ち出し,その地域は和賀郡二子通8カ村,黒沢尻通2カ村の10カ村に達し,奥寺新田と称された。新田には完成後,工事に加わった農民,囚人が自作農として入植した。八左衛門は50石の加増を受け,のち神明社に祀られた。<参考文献>『奥寺八左衛門新田開発事蹟』(『近世地方経済史料』7巻),『盛岡藩雑書』,『南部藩参考諸家系図』

(細井計)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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