奥州西街道(読み)おうしゆうさいかいどう

日本歴史地名大系 「奥州西街道」の解説

奥州西街道
おうしゆうさいかいどう

中村城下(現相馬市)から栃窪とちくぼ(現鹿島町)経由八木沢やぎさわ峠を越え、飯樋いいとい(現飯舘村)山木屋やまきや(現川俣町)上太田の白髭かみおおたのしらひげ(現東和町)小浜おばま(現岩代町)を通り、本宮もとみや(現本宮町)で奥州道中に合さる街道である。相馬藩二本松藩の協力を得て古道を改修し、享保八年(一七二三)幕府へ届出ている。相馬藩御経済略記(福島県史)に「閏四月江戸より中村へ道法御届」とあるのがこれに当たり、主として参勤交代藩主帰路に使われ、栃窪陣屋で旅装を改めて帰城する習わしがあった。同略記寛延三年(一七五〇)の記事に「五月徳胤公西海道御下」とあり、天明元年(一七八一)八月にも藩主が小浜・栃窪泊りで帰っている(「白髭問屋諸荷物請立帳」東和町史)。安永四年(一七七五)の白髭問屋諸荷物請立帳(同書)には「奥州西海道相馬中村迄」とある。元禄(一六八八―一七〇四)以前の旧中村藩所領絵図(県文化センター蔵)では、この街道のうち中村城下から下栃窪・上栃窪、八木沢(現飯舘村)までと、その先の草野くさの臼石うすいし二枚橋にまいばし(現同上)経由で伊達郡在飯坂ざいいいざか(現川俣町)萩平はぎたいらに向かう道に一里塚を図示している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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