新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「奥平昌邁」の解説 奥平 昌邁オクダイラ マサユキ 肩書中津藩知事,東京府議 生年月日安政2年4月(1855年) 出生地江戸 経歴宇和島藩主伊達宗城の三男。文久3年(1863年)奥平昌服の養子となり、慶応元年(1865年)従五位美作守に叙任される。明治元年父に代り大阪城を警衛し、前将軍徳川慶喜が朝敵の汚名を蒙ると、徳川家の存続を朝廷に哀訴嘆願した。2年中津藩知事となり、4年廃藩により知事を免ぜられ、アメリカに留学。6年帰国し、13年東京府議、翌年芝区長に就任し、15年に辞職した。17年伯爵となる。 没年月日明治17年11月26日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥平昌邁」の解説 奥平昌邁 おくだいら-まさゆき 1855-1884 幕末-明治時代の大名,華族。安政2年4月1日生まれ。伊予(愛媛県)宇和島藩主伊達宗城(むねなり)の3男。奥平昌服(まさもと)の養子となり,慶応4年豊前(ぶぜん)中津藩(大分県)藩主奥平家9代。維新後アメリカに留学。のち東京府会議員,芝区長などをつとめた。伯爵。明治17年11月26日死去。30歳。通称は義三郎,九八郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by