奥村厚一(読み)オクムラ コウイチ

20世紀日本人名事典 「奥村厚一」の解説

奥村 厚一
オクムラ コウイチ

昭和期の日本画家 京都市立美術大学教授



生年
明治37(1904)年7月1日

没年
昭和49(1974)年6月25日

出生地
京都府

学歴〔年〕
京都市立絵画学校研究科〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
日展特選(第2回)〔昭和21年〕「浄晨」

経歴
西村五雲師事、晨鳥社に属した。帝展、新文展などに出品、昭和4年第10回帝展に「山林」、7年第13回帝展に「松林の秋」、12年第1回新文展に「落葉の秋」などを発表した。戦後21年第2回日展で「浄晨」が特選となった。23年福田豊四郎、山本丘人らと創造美術を結成、日本画の革新を目ざした。26年創造美術が新制作派協会と合同、以後新制作協会日本画部会員となった。35〜45年京都市立美術大学(京都市立芸術大の前身)教授を務めた。他に「黒潮」「浪」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥村厚一」の解説

奥村厚一 おくむら-こういち

1904-1974 昭和時代の日本画家。
明治37年7月1日生まれ。晨鳥(しんちょう)社の西村五雲に師事した。昭和21年「浄晨」が日展で特選となる。23年福田豊四郎,山本丘人らと創造美術を結成。35年から京都市立美大教授。風景画を得意とした。昭和49年6月25日死去。69歳。京都出身。京都市立絵画専門学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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