朝日日本歴史人物事典 「奥村良竹」の解説
奥村良竹
生年:貞享3(1686)
江戸中期の医者。名は直,号は南山。良竹(良筑)は字。越前国府中松森村(福井県武生市)生まれ。父は道喜。十余歳で駿府(府中)藩医山崎良伯に就いて医を学び,一時大坂に出たが帰郷して医を業とし,府中藩医となって本多侯に仕えた。のち本多侯の息女に従って京都に上り,後藤艮山,並河天民らの説を聞き,帰郷。古医方に通じたが,そのうち吐法が埋もれているのを惜しんで研究を積み,吐剤を臨床に活用し,新治療を開き,京都など各地から多くの弟子が参集した。著述をなさなかったが,その治法は永富独嘯庵『吐方考』や荻野元凱『吐方編』など門人の著述によりうかがえる。<参考文献>土肥慶蔵「奥村良筑考」(『鶚軒游戯』)
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報