日本大百科全書(ニッポニカ) 「奥殿藩」の意味・わかりやすい解説
奥殿藩
おくどのはん
三河国額田(ぬかた)郡奥殿(愛知県岡崎市)に陣屋を構えた譜代(ふだい)藩。大給(おぎゅう)藩ともいう。松平(大給)乗次が父真次(さねつぐ)の遺領加茂(かも)・額田両郡の4000石を継ぎ、のち加増されて1684年(貞享1)1万6000石の大名になったのに始まる。藩主は乗次以降、乗成(のりしげ)、乗真(のりざね)、盈乗(みつのり)、乗穏(のりやす)、乗友(のりとも)、乗尹(のりただ)、乗羨(のりよし)、乗利(のりとし)、乗謨(のりかた)と続く。乗次、乗成が大坂定番(じょうばん)役であったため、所領のうち1万5000石が摂津、河内(かわち)、丹波(たんば)3か国に分散し、しかもたびたび移動した。1704年(宝永1)乗真のとき、1万2000石分を信濃(しなの)国(長野県)佐久(さく)郡に移されて所領が固定し、奥殿には陣屋を設置した。奥殿陣屋は弱体で、1836年(天保7)の加茂一揆(いっき)にも自力で対処できなかった。1863年(文久3)陣屋を佐久郡田野口に移し、奥殿藩は解消して田野口藩(68年竜岡(たつおか)藩と改称)となる。
[渡辺和敏]