奥田八二(読み)オクダ ハチジ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「奥田八二」の解説

奥田 八二
オクダ ハチジ*


専攻分野
社会思想史

肩書
元・福岡県知事,九州大学名誉教授

別名
号=奥田 葦水

生年月日
大正9年11月1日

出生地
兵庫県姫路市

学歴
九州帝大法文学部経済科〔昭和19年〕卒 九州大学大学院経済学研究科修了

経歴
農家の八男に生れる。出征し、復員後九州大学で学者の道を歩く。昭和34年には、産炭地域の救済をめざす“黒い羽根運動”の先頭に立つなど、社会主義活動の理論的指導者として活躍。39年教授となり、43年九州大学紛争の最中に学生部長に就任、紛争の収拾では革新陣営も驚く手腕を発揮。58年社共両党、学者等の支持を得て福岡県知事に当選、16年ぶりに革新県政を実現した。3期つとめ、平成7年引退。この間、福岡県情報公開条例を制定したほか、企業誘致や日韓の自治体外交に尽力佐賀、長崎両県との3県知事サミットを実現した。知事公舎には入居しないという公約を最後まで守り通した。引退後も、平和運動に積極的に携わった。

受賞
勲二等旭日重光章〔平成7年〕

没年月日
平成13年1月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「奥田八二」の解説

奥田 八二
オクダ ハチジ

昭和・平成期の経済学者,政治家 九州大学名誉教授;元・福岡県知事。



生年
大正9(1920)年11月1日

没年
平成13(2001)年1月21日

出生地
兵庫県姫路市

別名
号=奥田 葦水

学歴〔年〕
九州帝大法文学部経済科〔昭和19年〕卒,九州大学大学院経済学研究科修了

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔平成7年〕

経歴
農家の八男に生れる。出征し、復員後九州大学で学者の道を歩く。昭和34年には、産炭地域の救済をめざす“黒い羽根運動”の先頭に立つなど、社会主義活動の理論的指導者として活躍。39年教授となり、43年九州大学紛争の最中に学生部長に就任、紛争の収拾では革新陣営も驚く手腕を発揮。58年社共両党、学者等の支持を得て福岡県知事に当選、16年ぶりに革新県政を実現した。3期つとめ、平成7年引退。この間、福岡県情報公開条例を制定したほか、企業誘致や日韓の自治体外交に尽力。佐賀、長崎両県との3県知事サミットを実現した。知事公舎には入居しないという公約を最後まで守り通した。引退後も、平和運動に積極的に携わった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥田八二」の解説

奥田八二 おくだ-はちじ

1920-2001 昭和後期-平成時代の経済学者,政治家。
大正9年11月1日生まれ。社会思想史を専攻し,昭和39年母校九大の教授。三井三池闘争などの理論的指導者として知られた。58年社会・共産両党推薦で福岡県知事に当選,3期つとめる。新北九州空港建設の着工,ごみ散乱防止条例の制定などの業績をのこした。平成7年引退。平成13年1月21日死去。80歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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