社会思想史(読み)しゃかいしそうし(英語表記)history of social thoughts

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

社会思想史
しゃかいしそうし
history of social thoughts

社会思想とは何か

英語では、思想史はhistory of thought movement(思想運動史)というより、intellectual history(精神史)という。日本では、社会思想史というと、個人思想史とは別のものとみなされがちだが、個人思想を離れて社会思想があるなどということはない。社会思想と個人思想の関係は、社会心理と個人心理、社会意識と個人意識、社会問題と個人問題の関係と同様、不可分のものであり、社会思想の一局面として個人思想をとらえる立場の確立が必要とされるだろう。一方、一人の個人が、生まれた瞬間から、自己意識をもち、自己の思想の原型をもつなどということはありえないから、個人思想から社会思想を説明することもできないだろう。社会思想は、人間が社会のなかで生活し、行動する際の内省的知性とみなすことができよう。社会思想は、広義には文化であり、行動様式なのである。[河村 望]

社会思想の変遷

社会思想は社会とともに古く多様であるが、ここでは、ヨーロッパとアメリカを中心に、古典古代からの社会思想の展開をみておこう。[古賀英三郎]
ギリシア哲学
ここでは、当然、ギリシアのソクラテス、プラトン、アリストテレスが問題となろう。ソクラテス以前のギリシア哲学は自然哲学を主とするものであった。それは万物の根源を問うもので、タレスは水を、アナクシマンドロスは無限のものを、アナクシメネスは空気を、ピタゴラスは数を、それぞれ万物の根源とした。これらは人間の世界に対する認識を、神話から解放するものであった。
 しかし、ソクラテス以降、哲学は人間のあり方そのものを問題とせざるをえなくなる。ソクラテスは真理の普遍妥当性をロゴス(宇宙理性)から説明し、プラトンは『国家論』において社会のあり方について体系的な問題提起を行った。そこでは、人間の三つの性質である理性、勇気、情欲に対応して、国家においても理性を備えた治者、勇気を備えた官僚、情欲を備えた庶民がいて、治者が理性的な指導力を発揮し、官僚がそれに従って行動し、庶民はそれに順応することになる。ここに当時のいわゆる衆愚政治に対する哲人政治が説かれるわけである。アリストテレスの場合、その『政治学』で展開されている政体論が有名であるが、彼は歴史的条件を重視するので、どの政体が最善か簡単に結論づけていない。彼にあっては、一般に理論についての考え方が多面的で、後世のあらゆる科学の起源は彼にあるとさえいわれている。[古賀英三郎]
キリスト教の成立
いわゆるヘレニズム時代に入って、哲学は天下国家の問題から離れて内面的になるが、他面、キリスト教の成立が人々に希望を与える。つまり聖書は、端的にいえば、世界は「神の国」の実現に向かって前進しつつあり、それが実現されるか否かは庶民の「悔い改め」という主体的な実践のいかんにかかっていることを説くことによって、人間の世界に目的観を与え、希望を与えたのである。[古賀英三郎]
中世の社会観
中世のローマ・カトリックの支配のもとでは、社会は異なった段階からなる一つの有機体であり、人間の行動は相寄っていろいろな職分からなる一つの階梯(かいてい)をなしていた。その種類と意味とは違っていても、すべてに共通した目的――啓示によって知られるような人間生活の目的――に支配されている以上は、その持ち場、持ち場において、おのおの尊いものであるという、有機体的な社会観が支配していた。[古賀英三郎]
ルネサンスと宗教改革
ルネサンス期の人々が自然の本格的研究を始めたとき、人々は、その研究のもっとも有効な道具が数学であることがわかった。数学によって、彼らは単純な諸要素に到達することが可能になり、そして、この単純な要素の現れるできごとのなかで、斉一性(整合性)を発見することができたのである。たとえば、慣性の法則とか物体落下の法則のような斉一性は、空気の抵抗や重力が作用する地上では、具体的に現れない斉一性である。数学的に秩序づけられた世界という、この合理的な観念は、ほとんど教義のような仮定であった。こうして、ルネサンスの哲学者は、空間、形態、運動だけが対象自体に関係するものとみなし、色、音、味、においは精神に属するものとみなしたのである。このような制約をもつとはいえ、科学的理論は、実験によって検証されるべき仮説として提示されるに至ったのである。一方、宗教改革は、あの世での魂の救済のための、この世での信仰生活という伝統主義を否定して、地上における神の栄光を増すための職業労働への献身と禁欲的生活を強調し、日常生活と信仰の結合を要求した。[河村 望]
社会契約説
T・ホッブズが『リバイアサン』を出版したのは1651年で、ピューリタン革命の時期であった。彼は秩序を外部からの力で説明する王権神授説に反対し、契約による国家、キーウィタース(古ゲルマン民族の最高政治単位、すなわち国家)の形成を理論化した。J・ロックの『統治に関する二論文』(政治二論)が出版されたのは1690年であるが、このときはいうまでもなく名誉革命の時期であった。ロックは生命、自由、財産が所有権といわれるものの内容であるとして、所有権の確保のために人々は契約を結ぶとした。彼の契約説は、人民相互の契約と人民と政府の契約という、いわゆる二重契約説で、立法権力は信託権力にすぎないとされていた。J・J・ルソーの『社会契約論』は、フランス革命を思想的に準備したといわれるが、彼によれば、社会契約が政治体に、全構成員に対する絶対的力を与えるのであり、この力が一般意志によって指導される場合、主権(国民主権であると同時に国家主権)と名づけられるのである。[河村 望]
スミスと市民社会の理論
自然法の理論が、秩序の問題を、最終的には多数者の少数者に対する強制という形で、否定的にせよ権力を介在させて解決せざるをえなかったとすれば、古典経済学は、第三者の同情、同感のなかに、利己心の社会的性格をとらえた。つまり、主要当事者(第一者)は第三者の同感を得たいという本性を備えているから、同感が得られないような不正は自己規制され自立的秩序が形成されるとし、権力の介在による強制力はほとんど必要としないと考えた。A・スミスは、人間はつねにその同胞の助力を必要としていながら、しかも同胞の仁愛だけに期待しても徒労であるといい、われわれが自分たちの食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の仁愛にではなく、彼ら自身の利益に対する彼らの顧慮に期待してのことだという。われわれが自らのなかに第三者をつくりだし、その人の見地から、自らの行動の適宜性を判断するという形で、スミスは市民社会の自立的秩序を問題にしていったのである。しかしこの場合、肉屋や酒屋やパン屋と、それぞれの顧客といった当事者相互の関係でなく、主要当事者と観察者である第三者との関係が最初に問題になるところに難点があるといえよう。理論的には、当事者間の相互行為のなかから、媒体としての貨幣やことばが発生するのであり、二者間の相互行為の外部にいる第三者の存在を、自立的秩序形成の前提にすることはできない。[河村 望]
ロマン主義とヘーゲルの哲学
ドイツでは、近代の政治革命が瓦解(がかい)し、ルソーのいう一般意志、主権者は、中世の旧秩序に回帰しなければならなかった。カントのいう、現象的領域から区別された「物自体」という本体の世界(つまり神のみが見ることのできる世界)に属する自我が、ロマン主義的自我の出発点であった。ロマン主義の風土のなかで形成されたヘーゲルの哲学では、世界は究極的には絶対的自我に立ち返り、この絶対的自我が思考過程を通じて世界を構成し、それを絶えず維持する。世界は、事物を関係づける思考の創造物であり、それは思考過程から生ずる、つまり精神の発達は世界の発達と同じであるというのが、ヘーゲルによって示された主体―客体関係なのである。いいかえれば、われわれは、言語という社会的記号体系によって思考するのであり、思考するということは、思考の対象をもつということである。したがって、思考の対象として机をもつということは、個別の机ではなく、社会的実在としての机を眼前にもつということなのである。のちに、G・H・ミードは『19世紀の思想動向』のなかで、これを「自我が自らの世界のなかに対立をみいだし、総合を通じて、すなわち仮説を通じて世界を再構成し、最終的に新しい対立に進んでいく関係」とみなして、これは科学のなかで、思考の進化の過程で進行する物事を言明したものだと、高く評価している。現在使用されていることばでいえば、問題状況のなかで、われわれがパーソナル・リアリティ(個人的実在)を再構成していくことが、思考の過程なのである。[河村 望]
マルクス主義
マルクスは、ヘーゲルの絶対的観念論を批判して、弁証法的唯物論と史的唯物論の世界観を提示する。それは、社会の生産力と生産関係とは対応しなければならないという命題を含む。すなわち、自然に対する人間の生産力が発展すれば、生産関係、人間の物質的社会関係も変化せざるをえないが、既存の生産関係のなかで特権的な立場にたつ者は、古い生産関係に固執せざるをえないから、歴史は特権ある者の意志に反して推し進められざるをえなくなる、というのが階級闘争の理論である。つまり、資本主義のもとで、生産力は社会化するのに、生産手段は私的に所有されている、この矛盾を解決するには、所有も社会的に管理する必要がある、その際、生産手段を私有する者(資本家)はこれに逆らうであろうから、階級闘争による革命が必然となる。これがマルクス主義の考えである。この理論は、社会主義世界体制の崩壊によって、その誤りが検証されたが、個人的所有と社会的所有、個人と社会の動的関係を、生活者として理論的に把握できなかったところに、その誤りの根源があるといえよう。社会主義革命を前衛政党に指導された勤労大衆による政治権力の奪取とすることも、この点とかかわる問題である。[河村 望]
プラグマティズムの哲学
W・ジェームズ、J・デューイのプラグマティズムは、観念や仮説の真理をその実際の働きによって検証するという立場にたつ。この立場は、人はその心に、外部に存在するものの印象をもつという知識の模写説にも、外部に存在する構造に適合するものをつくりだすという知識の整合説にも反対する。これらの説の前提は、知識の機能は、心の外にある何かに可能な限り類似した像を生み出すというものであるが、プラグマティズムは、知識、知性が、実際に行為の過程の内部にあること、そして、人間の知性が内省的知性であることを主張する。ミードは、自我が社会のなかで生まれ、社会性をもつことを強調し、絶対的観念論が、自我のパースペクティブ(視座、展望)を主観的なものとして、実在性のないものとしたのに対して、これを客観的実在とみなした。自我はそれ自身が一つのパースペクティブであるだけでなく、さまざまなパースペクティブの組織化の原理として働くものである。このパースペクティブは、経験のなかで検証されるものである。社会科学者の役割は、われわれの時代の狭いパースペクティブを批判して、より高次の、より普遍的パースペクティブに向かうように自らを組織化することである。[河村 望]

現代の動向

アメリカでは、1960年代後半のラディカリズムの台頭のなかで、「社会学の社会学」運動が展開され、批判的社会学、内省的社会学が主張されたが、そこでもパーソナル・リアリティが問題にされた。事物について思考することは、思考の対象として事物をもつことであり、その限りで個人的実在であるが、経験のなかで検証されることで、社会的実在になるのである。たとえば、60年代の黒人解放運動は、「ブラック・パワー」「ブラック・イズ・ビューティフル」という主張にみられるように、新しいパースペクティブを確立させ、少数民族、女性、同性愛者、老人などの新公民権運動に大きな影響を与えたのである。また、言語、文化との関連で、ナショナル(国家的)なパースペクティブとインターナショナル(国際的)なパースペクティブの関係という問題も残されている。日本では、柳田国男(やなぎたくにお)が、舶来品でない国産の学問として日本民俗学を樹立したが、日本の社会思想史も新たな視点から再構成されるべきであろう。[河村 望]
『高島善哉・水田洋・平田清明著『社会思想史概論』(1962・岩波書店) ▽水田洋編『社会思想史』(1968・有斐閣) ▽江口朴郎著『世界史における現在』(1980・大月書店) ▽鶴見俊輔著『アメリカ哲学』(1986・講談社) ▽G・H・ミード著、河村望訳『19世紀の思想動向』(1991~94・いなほ書房) ▽J・デューイ著、河村望訳『確実性の探求』(1996・人間の科学社) ▽佐藤和彦著『中世社会思想史の試み――地下の思想と営為』(2000・校倉書房) ▽社会思想史学会編『社会思想史学会年報 社会思想史研究』各年版(北樹出版) ▽丸山真男著『日本の思想』(岩波新書)』

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