《続日本紀》宝亀7年(776)12月丁酉条に陸奥国の奥郡がみえ,《今昔物語集》巻二十第10に信濃国の〈奥の郡に侍りし郡司〉とある。信濃では北部の更級,埴科,水内,高井などの諸郡を奥信濃といい,戦国時代にも信州奥郡,信之奥郡などの用例がある。また常陸でも,平安末・鎌倉初期,佐竹氏の支配下におかれた那珂東西,久慈東西,佐都東西,多賀など北部の諸郡を奥七郡といった。1166年(仁安1)飛驒国田畠所当進未注文では,奥郡は益田郡と並記されているので,吉城,大野郡をさすとみられる。《保元物語》上に〈大和国奥郡〉に住したといわれた宇野親治の本拠は宇智郡宇野庄であり,《宇治拾遺物語》巻一の17の〈肥前国の奥の郡〉は国司の館から遠い地域であった。室町時代の用例で紀伊の熊野を奥郡といった用例もある(熊野速玉大社文書)。以上により,それぞれの国で,平地にある国府から遠く,多くは山よりの地域が南北を問わず奥郡と呼ばれたと推定される。
執筆者:網野 善彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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