奥銀屋町(読み)おくがなやまち

日本歴史地名大系 「奥銀屋町」の解説

奥銀屋町
おくがなやまち

[現在地名]生野町奥銀谷おくがなや

しん町の北東に位置し、いち川が流れる。銀山廻七町の一。慶長年間(一五九六―一六一五)鉱床の発見があったとされ、鉱山町として賑いをみせたという。川筋に吹屋が軒を並べ、山手てら町と、庄野しようの町の二筋の町並が形成されていた。万治三年(一六六〇)の届書(藤垣家文書)に「奥銀屋町加奉」として助右衛門・市郎兵衛が署名している。同年二月吹屋から出火、全町が焼失し、樋引・日雇ら二、三千人が居住していた長屋も焼失したという(銀山旧記)。享保一五年(一七三〇)の銀山宗門改帳(生野書院蔵)では戸数一〇三・世帯数二〇一、人数八〇九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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