妹尾村(読み)せのおむら

日本歴史地名大系 「妹尾村」の解説

妹尾村
せのおむら

[現在地名]岡山市妹尾

高尾たこお村の南に位置し、村の中央を東西に金毘羅往来が通る。南は文政六年(一八二三)興除こうじよ新田ができるまで児島こじま湾の干潟に面していた。正保備中国絵図では南面は遠浅の干潟で、村より海辺まで二里二町、うち三町は入足不可能、残りの干潟は入足可能な沼地である。満潮時には村より一町半まで潮が差込んでくるが、猟船以外の荷船は一円出入不可能であると記される。東側は児島湾に注ぐささ川と足守あしもり川が河口付近で合流し、デルタ地帯を形成していたが、元和―寛永期(一六一五―四四)に干拓され新田・大福おおふく新田となる。中世には妹尾郷(庄)が成立した。

慶長五年(一六〇〇)より庭瀬藩戸川氏領と推定される(「戸川記」など)。寛永八年の徳川家光朱印状写(宮田文書)では高四千三一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む