20世紀日本人名事典 「姫田真左久」の解説
姫田 真左久
ヒメダ シンサク
昭和・平成期の映画撮影監督
- 生年
- 大正5(1916)年11月19日
- 没年
- 平成9(1997)年7月29日
- 出生地
- 兵庫県加古川市
- 学歴〔年〕
- 東京帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)〔昭和12年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 日本映画技術賞〔昭和39・40・41・45・57年〕「赤い殺意」「日本列島」「人類学入門」「戦争と人間」「誘拐報道」,NHK映画賞〔昭和37年〕「赤い殺意」,毎日映画コンクール撮影賞〔昭和39年〕「日本列島」,日本映画記者会賞〔昭和40年〕「人類学入門」,日本アカデミー賞最優秀撮影賞(第3・6・11回)「復讐するは我にあり」「誘拐報道」「螢川」,勲四等瑞宝章〔平成4年〕
- 経歴
- 昭和12年日活多摩川撮影所に入社。碧川道夫に師事。14年日華事変で従軍し、17年大映に復帰。23年「母紅梅」で撮影監督に昇格。29年日活に移籍、53年フリー。浦山桐郎、今村昌平とコンビを組み、数多くの名作を手がけた。代表作に「にあんちゃん」「キューポラのある街」「にっぽん昆虫記」「赤い殺意」「日本列島」「戦争と人間」「復讐するは我にあり」「ハチ公物語」「マイ・フェニックス」などがある。56年撮影助手らを集めて“動の会”を結成、後進の指導にも当たった。平成10年遺族らにより自伝「パン棒人生」が出版される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報