映画監督。大正15年9月15日、東京生まれ。1951年(昭和26)、早稲田(わせだ)大学第一文学部西洋史学科を卒業し、松竹大船撮影所に入社。助監督として小津安二郎(おづやすじろう)、野村芳太郎(よしたろう)についた後、師匠の川島雄三に伴い、1954年、日活に移籍。1958年、旅役者一座と村人の活力あふれる人間模様を描いた喜劇『「テント劇場」より 盗まれた欲情』で、監督デビュー。同年、3作目の『果(はて)しなき欲望』(1958)では、第二次世界大戦敗戦後、軍の隠匿物資をめぐって争う人間群像を活写、高い評価を得る。炭坑の子供たちを描く『にあんちゃん』(1959)、横須賀米軍基地周辺のチンピラとやくざの抗争劇『豚と軍艦』(1961)により、浅ましく泥臭い欲望の活劇としての「重喜劇」を確立。1963年、東北の農村出の女性の数奇な人生を描く『にっぽん昆虫記』は、多数の賞に輝く代表作となる。『赤い殺意』(1964)の後、1965年、今村プロを設立、野坂昭如(あきゆき)原作の『「エロ事師たち」より 人類学入門』(1966)に次いで、ATGとの共同製作で斬新なドキュメンタリー『人間蒸発』(1967)を撮り、新境地をみせる。『楢山節考(ならやまぶしこう)』(1983)でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。後に『うなぎ』(1997)でも2度目の同賞受賞。ほかに『神々の深き欲望』(1968)、『復讐(ふくしゅう)するは我にあり』(1979)、『黒い雨』(1989)などがある。
一方、監督、俳優、スタッフ養成をするべく、1975年に横浜放送映画専門学院を開校し、学院長に就任。1985年、これを3年制の専門学校とし、名称を日本映画学校に改め、1986年、理事長・学校長に就任。映画監督の三池崇史(みいけたかし)(1960― )、細野辰興(ほそのたつおき)(1952― )、金秀吉(キムスギル)(1961― )、佐々部清(ささべきよし)(1958―2020)、本広克行(もとひろかつゆき)(1965― )、李相日(イサンイル)(1974― )、脚本家の鄭義信(チョンウィシン)(1957― )、芥川賞作家の阿部和重(あべかずしげ)、タレントのウッチャンナンチャン(内村光良(うちむらてるよし)1964― 、南原清隆(なんばらきよたか)1965― )、俳優の長谷川初範(はせがわはつのり)(1955― )、隆大介(りゅうだいすけ)(1957―2021)など、着実に次代を担う人材を輩出している(2011年、日本映画大学として開学)。平成18年5月30日、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため死去。享年79歳。
[坂尻昌平]
盗まれた欲情(1958)
西銀座駅前(1958)
果しなき欲望(1958)
にあんちゃん(1959)
豚と軍艦(1961)
にっぽん昆虫記(1963)
赤い殺意(1964)
「エロ事師たち」より 人類学入門(1966)
人間蒸発(1967)
神々の深き欲望(1968)
にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活(1970)
復讐するは我にあり(1979)
ええじゃないか(1981)
楢山節考(1983)
女衒 ZEGEN(1987)
黒い雨(1989)
うなぎ(1997)
カンゾー先生(1998)
赤い橋の下のぬるい水(2001)
11'09''01 セプテンバー11(イレブン)(2002)
『今村昌平著『遥かなる日本人』(1996・岩波書店)』▽『佐藤忠男著『今村昌平の世界 増補版』(1997・学陽書房)』▽『今村昌平著『撮る――カンヌからヤミ市へ』(2001・工作舎)』▽『清水正著『今村昌平を読む――母性とカオスの美学』(2001・鳥影社)』▽『村松友視著『今平犯科帳――今村昌平とは何者』(2003・日本放送出版協会)』▽『香取俊介著『今村昌平伝説』(2004・河出書房新社)』▽『今村昌平著『映画は狂気の旅である――私の履歴書』(2004・日本経済新聞社)』▽『今村昌平著、佐藤忠男編著『教育者・今村昌平』(2010・キネマ旬報社)』
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…歌舞伎ふうの定式幕に〈トザイ,トーザイ,これよりご覧にいれまするは本朝姨捨の伝説より,楢山節考,楢山節考……〉という口上が聞こえてきて幕が引かれ,ラストの現代の風景を除く全編が舞台を思わせるセットのなかで展開,そして場面転換にも〈振落し(書割の布をパラリと落としたとたんに背後の次の場面が見える)〉や〈引道具(前面の道具を脇へ引くにしたがって新しい情景に変わっていく)〉といった歌舞伎の舞台の早替りの手法が使われ,音楽にも歌舞伎ふうに義太夫や長唄や浄瑠璃が使われるといったように,徹底的に〈様式化された〉画面構成による作劇法(シネマトゥルギー)の成功で木下恵介の代表作の一本となっている。 83年には今村昌平監督により再映画化され,こちらは例えばおりん婆さんが自分から石で前歯を欠くところは主演女優の坂本スミ子に実際に抜歯させるなど,徹底的なリアリズムに貫かれた作品である。いずれの作品も海外で高く評価され,今村作品は84年カンヌ映画祭グラン・プリを受賞した。…
… 日本の〈現代〉を描いていけば究極的に喜劇になる,と考えていた川島雄三が,江戸古典落語の《居残り佐平次》その他の〈廓(くるわ)もの〉を素材に,時代を文久2年(1862)に設定して,勤皇と佐幕にわかれて揺れ動く武士の世界を町人の世界にからませた物語を,〈グランド・ホテル形式〉で構成,江戸の町人が武士階級に対する理想像としてつくりあげた架空の人物である佐平次(フランキー堺)と,歴史上の勤皇の志士で当時の〈太陽族〉でもあった高杉晋作(石原裕次郎)の,動乱の時代における生きざまに託して,〈現代〉を描いた傑作である。脚本は,チーフ助監督でもあった今村昌平との共作。【柏倉 昌美】。…
※「今村昌平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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