威徳寺観音堂(読み)いとくじかんのんどう

日本歴史地名大系 「威徳寺観音堂」の解説

威徳寺観音堂
いとくじかんのんどう

[現在地名]福知山市字宮垣 岩戸

威徳寺について「丹波志」は「岩戸山為徳寺 旧跡 宮垣村 千手観音 本堂三間四面 郡内順礼廿四番札所」と記す。現在、観音堂のほかに行者堂がある。

観音堂には一二〇躯の仏像と二躯の神像および光背・背板・台座などが遺存する。本尊千手観音は寄木造で像高は一七四センチ、藤原初期の作と推定される。本尊を取り巻く四天王像のうち一躯を除いてほかは藤原時代の作である。二メートル以上の天部形立像もある。堂の左の間の仏像は一〇〇躯に及ぶが、このように多数の仏像が集まっているのは、明智光秀が福知山城を築く時、諸寺に石塔などの供出を命じたが、威徳寺や今安こんな寺などは命に従わず、同じ頃取り壊された三六ヵ寺の仏像がこの堂に集められたと推定されている(威光寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む