宅美郷
たくみごう
「和名抄」に訓はない。和訓の「たくみ」は手工業技術に秀でたものの称で「工」字をあてる場合が多い。「新撰姓氏録」には、工造を称する氏として大和国神別・右京諸蕃・山城国諸蕃の三氏があり、工首を称する氏としては和泉国未定雑姓の一氏がある。いずれも当郷との関係は不明。「日本書紀」応神天皇三一年八月条に、新羅王から献上された猪名部の祖の「匠者」の伝承があるが、その伝承からすると造船技術に秀でたものであった。西成郡に北接する川辺郡(現兵庫県)に為奈郷があり、猪名部の本拠の一つをこの地に求めることができる。西成地域が船舶の来着・出発する港津地域であったことからすると、隣接する川辺地域に居住する造船技術者が当地域へも移住し、当郷の中心的位置を占めるにいたったものであるかもしれない。
宅美郷
たくみごう
「和名抄」高山寺本に「多久三」の訓がある。郷域について明治二二年(一八八九)成立の布都美村・五城村・竹枝村(現赤磐郡吉井町中勢実・西勢実・小鎌・石上、御津郡御津町石上・中畑、同郡建部町大田・土師方)の地域に比定されている(「大日本地名辞書」「岡山県通史」など)。推定郷域内に式内社である石上布都魂神社(吉井町石上)がある。同社に関しては「日本書紀」神代上第八段宝剣出現段の第三の一書に、素戔嗚尊が八岐大蛇を斬殺した剣について「今吉備の神部の許に在り」とある神話との関係を伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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