宇佐美圭司(読み)うさみけいじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇佐美圭司」の意味・わかりやすい解説

宇佐美圭司
うさみけいじ
(1940―2012)

画家。大阪府吹田(すいた)市生まれ。1958年(昭和33)、大阪府立天王寺高校卒業後上京。1963年、初の個展南画廊、東京)でほぼ白一色の抽象画作品を発表するが、その後、人体かたちが部分的に現れてくる作品を制作。1965年に『ライフ』誌に掲載されたロサンゼルス、ワッツ地区の暴動を報じた写真に写された人物の姿に衝撃を受け、その人物の輪郭を画面に引用した作品『水族館の中の水族館』(1967)、『トランスフォーメーション』(1968)などを発表する。人物のパターンは「走りくる人」「たじろぐ人」「かがみこむ人」「投石する人」の4人に整理され、顔のない記号化された形姿は、画面の中で再配置され構成されることで、より複雑化し抽象化した。その時代の人間の不安と孤独を「疎外」として表すとともに、群衆化した人間の共同性も同時に暗示している。また、1968年発表のレーザー光線を使用するシリーズ作品「レーザー・ビーム・ジョイント」(南画廊、東京)で注目を集め、同シリーズ作品『Encounter '70』を日本万国博覧会(1970、大阪)の鉄鋼館に出品し、話題になった。

 1972年にロックフェラー財団招聘で渡米、同年ベネチア・ビエンナーレの日本館に出品。1977年「今日の美術'77 見えることの構造」展(西武美術館、東京)に参加。1983年美術文化振興協会賞、1989年(平成1)日本芸術大賞受賞。1990年武蔵野美術大学油絵学科教授、2000年から京都市立芸術大学油画科教授。

 回顧展としては1992年「宇佐美圭司回顧展」(セゾン美術館、東京ほか)、2001年「宇佐美圭司・絵画宇宙」(福井県立美術館、和歌山県立近代美術館ほか)などがある。また、1970年代以降前衛美術の流れが止まり、画家があらためて突き当たった主題喪失の問題を著書『絵画論――描くことの復権』『線の肖像――現代美術地平から』(ともに1980)、『デュシャン』(1984)、『心象芸術論』(1993)などで展開し、絵を描くことの困難と可能性を追求してきた。

[高島直之]

『『線の肖像――現代美術の地平から』(1980・小沢書店)』『『絵画論――描くことの復権』(1980・筑摩書房)』『『デュシャン』(1984・岩波書店)』『『心象芸術論』(1993・新曜社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇佐美圭司」の解説

宇佐美圭司 うさみ-けいじ

1940-2012 昭和後期-平成時代の洋画家
昭和15年1月29日生まれ。昭和39年国際青年美術家展ストラレム優秀賞1位受賞で注目された。43年日本初のレーザー光線による作品展,47年ベネチア-ビエンナーレ日本代表,55年個展「100枚のドローイング展」など現代美術作家として活躍をつづける。平成14年「宇佐美圭司・絵画宇宙」で芸術選奨。京都市立芸大教授。平成24年10月19日日死去。72歳。大阪出身。天王寺高卒。

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