人間の社会活動による産物、たとえば、労働活動による生産物や社会関係、あるいは頭脳活動による観念、思想、芸術などが、それ自身あたかも生命を与えられたように自己活動し、それによって独自の力をもつかのように現れ、それらを生み出した人間自身に対して、逆に彼を支配してしまう疎遠な力として現れるようなことをいう。この状態では、人間の活動は当の人間に属さない外的な、疎遠なものとなり、そのことによって、人間の本質は取り除かれ、また他の人間との社会関係もゆがめられてくる。
[似田貝香門]
疎外の基本的状態は、まず自己疎外Selbstentfremdung(ドイツ語)として現れる。人間の自己の内にある人間的本質が、人間的活動によって外化(がいか)Entäußerung(ドイツ語)される。ところが、自己が外化した人間的本質が自己から自立して疎遠となり、逆に自己を支配してしまうに至るのである。
[似田貝香門]
自己が自己であることを拒否され、本来の自己に対立する状態に置かれるという考え方は、ドイツ観念哲学に発する。フィヒテは、この状態を自我の活動の疎外による非我(対象世界)の成立のうちに認め、ヘーゲルは、フィヒテの主観的観念論の立場を超えて、対象世界(自然)は「疎外された精神」だと考えた。つまり「精神」が自己を対象化することがすなわち疎外であったのである。「精神」は、自己を疎外しかつそれを自己のうちに取り戻す作業を通じて「絶対知」に到達できるとした。したがって、ヘーゲルにおいては、疎外は「精神」の問題としてとらえられたので、疎外からの回復も、認識活動によって容易に可能と考えられた。フォイエルバハは、このヘーゲルの「精神」が、キリスト教における神と同様、抽象化され絶対化された人間の本質にすぎないことを指摘し、この絶対化に疎外をみた。つまり、宗教とは人間の本質の疎外によるものであると考え、また観念論は理性の疎外によるものとし、それらを批判した。しかし彼は、こうした疎外の根源を暴いたが、それを廃止する基礎を示しえなかった。
[似田貝香門]
マルクスは、ヘーゲル、フォイエルバハの両者を批判的に継承して、疎外の概念を完成させ、そこに彼のヒューマニズムの基点を据えた。彼の初期の論文「経済学・哲学手稿」(1844)に疎外論が展開された。ここでは疎外は四つの側面から把握されている。
(1)労働の対象化されたものが人間主体から自立し、対立的に現れる(労働の成果からの疎外)、(2)労働は生の目的でなく手段となり、人間らしい生活が労働以外の場に求められる(自己疎外)、(3)人間の存在を個人的な現存の手段にしてしまう人間の普遍性の疎外(類からの疎外)、(4)人間の人間からの疎外。この疎外された労働は、労働過程が資本家的生産過程として行われることから生じることを明らかにした。ここからマルクスは、人と人との関係が物と物との関係として表される商品世界における疎外と、労働力が商品となり労働がその使用価値となる資本主義的生産における疎外とを問題にしていった。
[似田貝香門]
疎外状態を取り除くには、疎外を生み出す私的所有と私的労働を廃棄して、生産手段の社会的所有と直接に社会化された共同労働に基礎を置く社会を実現すべきであるとするのがマルクス主義の疎外解除の立場である。これに対し、サルトルらの実存主義の立場では、それだけでは十分でないとする。(1)手段や資源が個人や社会全体の存続に必要な量に対して相対的に不足しているような事態(希少性)がなくならない限り、(2)人間の実践が「実践的惰性態」のなかにある限り、疎外の最終的な解除は不可能とみた。
[似田貝香門]
現代社会においては、テクノロジーの発展と資本主義の高度化によって、労働における疎外、マス・コミュニケーションを通じての大衆操作にみられるような疎外、官僚支配による組織からの疎外などが深化してきている。哲学ばかりでなく、社会学や社会心理学は疎外状態に対応する社会的性格を問題にした。フロムは疎外を「人間が自分自身を例外者として経験する経験様式」(『自由からの逃走』1941)と規定し、疎外への対応としての社会的性格として、(1)搾取的性格、(2)貯蓄的性格、(3)受容的性格、(4)市場的性格の四つの類型をあげている。疎外を経験としてとらえ、それを実証的につかむ研究も行われてきた。
たとえばアメリカの社会学者シーマンMelvin Seeman(1918― )は、現代のテクノロジーの発展による工場のオートメーション化によって、作業工程で単純作業や単調労働が増加することから、(1)無力感、(2)無意味さ、(3)無規制感、(4)孤立感、(5)目的喪失感または自己疎外感などの調査項目から経験レベルでの疎外をとらえた。疎外の過程は全体社会の現象であるから、それを社会経済構造と普遍の個人の性格構造との相互作用において把握する必要がある。
[似田貝香門]
『城塚登著『新人間主義の哲学』(1972・日本放送出版協会)』▽『似田貝香門著『社会と疎外』(1984・世界書院)』▽『清水正徳著『人間疎外論』(紀伊國屋新書)』▽『F・パッペンハイム著、粟田賢三訳『近代人の疎外』(岩波新書)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…われわれは他人の身体に他人の存在を理解する。他者を介して総合される私の存在から,〈私の所有〉が疎外化されて,私の主体性は,所有権として権利化される。権利は人間相互の交換(譲渡)において承認される。…
※「疎外」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新