普通、現代美術といえば、広くは20世紀美術、狭くは第二次世界大戦以降の美術をさす。そして長い間われわれはこの広狭二様の意味をいっしょにして、いいかえれば現代美術=近代美術と考えて、扱ってきた。しかし第二次世界大戦以降半世紀以上が経過して21世紀に入り、時間の長さからいっても、この戦後が、印象派(印象主義)ないし後期印象派(後期印象主義)から戦前までの近代美術と拮抗(きっこう)するものとなってきているいま、われわれはこの事実に即して、第二次世界大戦を境目としてその前後をある程度区別してとらえる時期を迎えているといってよい。
[千葉成夫]
現代ということばを、「その時代の、同じ時代の、現在の」という意味でだけ用いるならば、「現代美術」contemporary artとは、つねにそのときの「今の」美術をさすことばである。しかし、20世紀の美術、とくに第二次世界大戦以後の美術においては、「現代美術」とは、そういう「今の」美術という意味以外に、「近代美術」modern artとの対比において用いられてきている。
ところで、近代美術との対比でいわれる現代美術という語の使い方は、時代によって、国によって、もちろん人によっても違っている。一般史において(狭義の)近代とは普通、封建制崩壊以降をさし、日本では明治以降をさす。現代とは第二次世界大戦以降、日本では太平洋戦争以降をさす。しかし美術においては、この一般史の時代区分とまったく無関係に定義できるものではないとしても、通常、広義では20世紀の美術、狭義では第二次世界大戦以後の美術を現代美術とよんでいることは先に述べた。
第二次世界大戦の前と後では、かなりはっきりした用語上の変化が認められる。つまり、以前は「現代美術」というよび方はけっして一般的でも多用されていたわけでもなかった。普通には「近代美術」が用いられ、そしてその「近代」なる語に「今の、現代の」という意味が含まれ、託されてきたのである。先行した近世に対する近代、それはその近代の人々にとってはまさしく現代であり、近世とは異質だという主張を含めて現代だった。それはボードレールのいう「近代」や、ランボーの「絶対に近代的でなければならぬ」ということばにもっとも象徴的に表されている。第二次世界大戦前にあっては、印象派や後期印象派以降の近代美術はそのまま現代美術をも意味していたといってよい。
これに対して第二次世界大戦後になると、現在に近づくにつれてしだいに、まず20世紀初頭以降(具体的にはキュビスムからダダイズムに至る時期を境目としてそれ以降)を、ついで第二次世界大戦後のアクション・ペインティングやアンフォルメルあたりを境目として、それ以降を「現代」として、「近代」から切り離して考えようという見方が出てくる。ついで1970年代末期以降になると、近代の終焉(しゅうえん)の意識が強まった結果、「ポスト・モダニズム」という思潮が現れてくる。その底流にあるのは、新しい時代と新しい美術に対する希求と、近代最末期の閉塞(へいそく)感にほかならない。そしてそういう状況のまま、21世紀を迎えている。
第二次世界大戦以後われわれは、確かにいままでとは異質の姿を、世界に、社会に、政治に、われわれ自身に、感じ取ってきている。美術でいえば、われわれのことばそのもの、眼そのものが、いまだにいやおうなく近代の呪縛(じゅばく)下にあるにもかかわらず、大衆社会、消費社会、情報化が人間の感性を大きく変え、実際の様式上もはや近代とはよぶことが困難な美術の作品群が次々に登場していて、美術そのものが大きく変貌(へんぼう)してきていることを感じ取っているのである。われわれはいまだ近代のことばをもってしか語れないにもかかわらず、美術の実際はすでに近代とは異質の現代に踏み込んでいる――これが、この実感こそが、第二次世界大戦以後われわれがつねに「現代」を近代から区別せずにはいられないできた衝動の根拠であろう。1963年に美術評論家宮川淳(あつし)はそれを「様式概念としての現代と価値概念としての近代の矛盾・相剋(そうこく)」ということばで定式化した。そしてわれわれは、いまもなお矛盾のなかに置かれているといってよい。
近代の端に位置する20世紀以降の美術は、ある意味ではポスト・モダン(近代の後)、より正確にはレイト・モダン(近代後期)の意識をつねにはらみながら展開されてきたといいうるが、それが現象的にもはっきりするのは、1970年代最末期以降に現れるニュー・ペインティングまたは新表現主義あたりからである。それ以降、20世紀前半期のように一つの運動が一時代を画する大きなものになることはもはやないにしても、レイト・モダンの意識は、多様な様式のもとに、小さな波のように繰り返されて現在に至っている。
近代そのものを問い直すなかで、20世紀最末期になって、第二次世界大戦後の美術を主導してきた北アメリカの比重が相対的に下がってきた。それにかわって、第一に、長い道のりの末に一共同体を形成しようとしてきたヨーロッパの重要性が回復されつつある。第二に、ソビエト連邦崩壊、冷戦の終焉、東欧圏の変化などが、ヨーロッパ地域のみならず世界の情勢を大きく変えている。美術では、たとえばイリヤ・カバコフのように、旧ソビエトや東欧圏の美術家たちが、世界の美術にこれまでにない刺激をもたらしつつあることがあげられる。第三に、アジアの美術家たちがアメリカやヨーロッパに在住しながら、あるいはそれぞれの国を拠点に活動しながら、欧米の近代美術にそれとは別の思想と様式をもち込むことで、世界の美術状況を変容させつつある。
21世紀の美術は、これらの新たな刺激や思想を受けて、西ヨーロッパの美術がどのように展開していくのか、北アメリカの美術がいかにそのエネルギーを回復させていくのか、そして、そのなかでアジアないし非欧米地域の美術と美術家がどのように独創性を確立していくのかが、問われることになる。
[千葉成夫]
印象派または後期印象派のゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルドン、スーラ、モネらをきっかけとして近代美術の胎動が始まり、世紀が変わって1905年には「フォーブ」(野獣派)とよばれたフランスの画家たち、マチス、ドラン、ブラック、ルオーらが激しい原色による画面構成を生み出し、一方、ドイツでもこれに前後して表現主義の運動がおこった。「ブリュッケ」(橋派)のノルデ、キルヒナー、ペヒシュタイン、「青騎士」(ブラウエ・ライター)のカンディンスキー、マッケ、マルク、クレー、さらにはベックマンやココシュカといった画家たちによる、従来のものに満足できない強い感情表出の主張であった。
このフランスとドイツを中心にみられた表現主義に続いては、一方でキュビスムのピカソ、ブラック、グリス、レジェらを経て抽象絵画の大河が現れ、他方ではダダを経てシュルレアリスムが生まれていく。抽象芸術は19世紀末期の後期印象派の画家たちの試みを源とし、フランスではキュビストをはじめとしてドローネー、ピカビアら、ドイツではバウハウスを中心としてクレーやカンディンスキー、オランダではモンドリアン、さらにロシアのマレービチやチェコのフランチシク・クプカなど幾多の試みが、すこしずつずれながらもほぼ時を同じくして開花している。
そして第二次世界大戦前の段階では、いわば内部的には幾何学的抽象(冷たい抽象)と表現的な抽象(熱い抽象)の対比的な2傾向を内在させながら、外部的にはシュルレアリスムと対極をなしたということができる。そのシュルレアリスムは、チューリヒ、パリ、ベルリン、ケルン、ニューヨークなど各地でほぼ同時におこったダダという芸術否定の思想をはらんだ運動のあと、初め文学上の運動としておこったものが造形美術にも多くの影響を及ぼし、様式上は、抽象に近いものから具象まで多様性を内包しつつ、総じて人間の無意識や意識を超えた夢の世界の表現をもたらした。ダリ、タンギー、ミロ、デュシャン、マン・レイ、エルンスト、マッソン、アルプ、ジャコメッティ、デ・キリコらが活躍した。以上が戦前のおおよその流れで、シュルレアリスムと抽象芸術が並び立ったところで、人類は二度目の大戦に突入した。
[千葉成夫]
ここでは、世界中のすべての国なり地域について語ることはできないが、ヨーロッパとアメリカに分けてその概略を述べる。
ヨーロッパも国や地域によってかなり異なっているが、たとえばフランスでは、美術の長い伝統を有するとともに、ボードレール以来、近代性および現代性に対する鋭い自覚をもあわせもっていて、現在の画家たちは世界的な同時性の意識とともにルネサンスの絵画をも直接的に肌で同時代のものと感じうる感性を備えており、単純にいつ以降を現代とくぎったりすればすむ、というものではない。それを第二次世界大戦以降と仮定して考えるならば、1940年代から1950年代にかけてのフォートリエ、ボルス、デュビュッフェらのアンフォルメルとか抽象表現主義とよばれた動向が最初にあげられ、次に1950年代後半からアルマンFernandez Arman(1928―2005)、ティンゲリー、セザールBaldaccini César(1921―1998)らのヌーボー・レアリスムとよばれたフランスのポップ・アートがある。1960年代もなかば近くなると、フランスではコンセプチュアル・アートはダニエル・ビュランDaniel Buren(1938― )らを除いてはほとんど広がらなかったかわりに、「シュポール‐シュルファス」(支持体と表面)を出発点として、ルイ・カンヌLouis Cane(1943― )、クロード・ビアラClaude Viallat(1936― )らの新たな抽象絵画が、他方ではエロErró(本名Gudmundur Gudmundsson、1932― )、バレリオ・アダミValerio Adami(1935― )らの新しい具象絵画が展開をみせている。
ドイツやイタリアは第二次世界大戦の敗戦国ということで国家自体の立ち直りに時間がかかり、美術上の進展も遅れたが、ドイツではヨーゼフ・ボイスを最年長として、物体との対応にコンセプチュアル的な動向がおこり、1960年代以降各地に広まってゆき、クラウス・リンケKlaus Rinke(1939― )らを生んでいる。また、イタリアでは個々の作家のなかに、ときに優れた存在を生んでいる。ピエロ・マンゾーニPiero Manzoni(1933―1963)、マリオ・メルツMario Merz(1925―2003)、ヤニス・クーネリスJannis Kounellis(1936―2017)、ジュゼッペ・ペノーネGiuseppe Penone(1947― )らである。
また広い意味でのポスト・モダニズム以降では、ゲルハルト・リヒター、アンセルム・キーファーら、またカバコフらロシアや東欧出身の美術家たちの活動も見逃せない。
他方アメリカは、揺籃(ようらん)期を経て、1940年のジャクソン・ポロックの絵画が、初めて真にアメリカ独自といえるものを生み出すとともに、それがアメリカ現代美術の始まりともなった。それは抽象表現主義とよばれる動向となり、その後もデ・クーニング、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンら抽象絵画に優れた画家を輩出している。また1950年代後半からはロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、クレス・オルデンバーグ、グループ「フルクサス」らにより、ネオ・ダダ的ないしポップ・アート的動向がおこり、1960年代なかばまで大きな広がりを示した。1960年代は、一種の芸術の極限化が、エルズワーズ・ケリー、ケネス・ノーランド、ドナルド・ジャッドDonald Judd(1928―1994)、カール・アンドレらによるミニマル・アートや、ジョセフ・コスースらのコンセプチュアル・アートという動向として現れ、また社会の高度化やテクノロジーの急速な発達に見合った動向としてオプ・アート、キネティック・アート、ライト・アート、コンピュータ・アートなども生まれた。1970年代も末期になると、ミニマリズムやコンセプチュアル・アートへの反動やパンク・カルチャーの影響下に、表現衝動を直接にあらわに出す傾向もヨーロッパと同時的に生まれ、ニュー・ペインティング、トランス・アバンギャルド、新表現主義などとよばれた。続いてネオ・ジオ、シミュレーショニズム、ネオ・コンセプチュアリズム、メディア・アートなどが登場するが、それは、1990年代以降にマルチ・カルチュラリズムとよばれることになる、多様化ないし拡散現象の表れといってよい。重要な作家としてはジェニー・ホルツァー、シンディ・シャーマン、ビル・ビオラらがあげられる。
[千葉成夫]
それに対して、日本の現代美術の状況は複雑である。ヨーロッパに劣らぬ長い伝統をもっているが、幕末を境に、伝統を捨てて西欧化、近代化へと走りだし、いまもなおそのレールの上を走っている。しかしいうまでもなく、西欧化にすべてを一元化できるわけではなく、伝統的、土着的なものはつねに背後に潜み、根底に横たわっている。つまり、西欧化と日本の伝統性という二つの要素が矛盾し相克し混合してきたという、矛盾的状態そのものが日本の近代そして現代の実相にほかならない。これが日本の美術の固有性なのである。
この事態は明治維新以来のものだが、ちょうどアメリカ美術が揺籃期を経て第二次世界大戦後に初めてアメリカ固有のものといえる美術を実現し始めるのと同じように、戦前までの揺籃期(そのなかには大正期アバンギャルド、昭和アバンギャルドといった先駆的動向もみられた)を経て、太平洋戦争後に「現代」を迎えると考えられる。すなわち、独自の動向として、つとに海外でも評価の高い、1955年(昭和30)に始まる金山明(1924―2006)、白髪一雄(しらがかずお)、田中敦子(あつこ)、元永定正(もとながさだまさ)、村上三郎、嶋本(しまもと)昭三(1928―2013)らの「具体美術協会」の活動から、1960年前後の「反芸術」とか「ネオ・ダダ」とかよばれた篠原有司男(しのはらうしお)(1932― )、三木富雄、赤瀬川原平(げんぺい)、荒川修作、中西夏之(なつゆき)、工藤哲巳(くどうてつみ)らの一連の動向にかけての時期が、日本の美術において初めて独自のものを生み出した時期であるという意味で、日本の現代美術の出発の時代であると考えることができる。そして、ここで独自のものという意味は、単に現実の作品が新奇なものであるということではなく、そこにみられる、絵画という概念や彫刻という概念を超え、はみだすような性格が、西欧的な従来の美術の概念とは異質なものを感じさせずにはおかないという意味なのである。
そして、このような日本の現代美術の独自性は、さらに1960年代最末期以降、李禹煥(りうふぁん/イウファン)、菅木志雄(すがきしお)、小清水漸(すすむ)(1944― )、吉田克朗(かつろう)(1943―1999)、榎倉康二(えのくらこうじ)、高山登(1944―2023)らの「もの派」の人々の動向や、1970年代の作家、堀浩哉(こうさい)(1947― )、山中信夫(1948―1982)、野村仁(ひとし)、辰野登恵子(たつのとえこ)(1950―2014)、中村功(いさお)(1948― )、戸谷成雄(とやしげお)、遠藤利克(としかつ)らにより、さらに次の世代の川俣正(かわまたただし)、中村一美らによりいわば拡大再生産されつつある。また1990年代に入ると、日本社会総体の変容、流動化に伴って、消費社会、情報化社会のなかで育ってきた世代によって、少なくとも表層的にはサブカルチャー的感性の作品が目だつようになる。しかしそれは、本当はそういうものをも含めて、独自なもの、固有なものの創出への試みととらえることができる。
[千葉成夫]
日本以外のアジアでは、とりわけ東アジア地域に大きな動きがみられる。なかでも中国では、1985年の「八五美術運動」以降、天安門事件(1989)を挟んで、さまざまな矛盾を抱えながら、国内外の先鋭的な美術家たちの活動によって、近・現代美術の状況が大きく変わりつつある。また、いわゆるソフト・ランディングを目ざす動きのなかで、美術市場もすこしずつ国際化されつつあり、初めはヨーロッパやアメリカ、ついで21世紀に入るころから華僑(かきょう)資本が、それら現代美術家に関心を寄せるようになってきている。また韓国においては、初の文民政権である金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)時代(1993~1998)にナム・ジュン・パイク(白南準(ペクナムジュン))が帰国を果たし、次の金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)時代(1998~2003)になると海外との交流がきわめて活発になり、美術も新しい段階を迎えている。
[千葉成夫]
『滝口修造著『近代美術』(1962・美術出版社)』▽『東野芳明著『現代美術――ポロック以後』(1965・美術出版社)』▽『針生一郎著『戦後美術盛衰史』(1979・東京書籍)』▽『『宮川淳著作集』全3冊(1980~1981・美術出版社)』▽『乾由明編『原色現代日本の美術18 明日の美術』(1980・小学館)』▽『千葉成夫著『ミニマル・アート』(1987・リブロポート)』▽『中村敬治著『現代美術 パラダイム・ロスト』(1988・書肆風の薔薇・白馬書房)』▽『美術手帖編集部編『現代美術――ウォーホル以後』(1990・美術出版社)』▽『たにあらた著『回転する表象――現代美術 脱ポストモダンの視角』(1992・現代企画室)』▽『V・バーギン著、室井尚・酒井信雄訳『現代美術の迷路』(1994・勁草書房)』▽『木島俊介著『アメリカ現代美術の25人』(1995・集英社)』▽『菅原教夫著『日本の現代美術――24作家の「持続する現在」』(1995・丸善)』▽『H・H・アーナスン著、上田高弘・児島薫他訳『現代美術の歴史――絵画 彫刻 建築 写真』(1995・美術出版社)』▽『中村敬治著『現代美術 パラダイム・ロスト2』(1997・水声社)』▽『E・ディ・アントニオ、M・タックマン著、林道郎訳『現代美術は語る――ニューヨーク・1940―1970』(1997・青土社)』
現代の美術Contemporary artの意味であるが,〈モダン・アートModern Art〉が単に〈近代の〉という意味ではなく,伝統破壊的なアバンギャルド性を体現している美術を指していたように,〈現代美術〉もやや限定した意味で用いられる。
美術上,〈近代modern〉から明確に弁別できる概念として〈現代〉がほんとうにすでに成立しているのかどうかについては,大きく意見の分かれるところであろう。この見解の違いによって,〈近代〉と〈現代〉の概念規定,時代的な区分の仕方がまったく異なってくる。〈モダン・アート〉については,後期印象派以降を総称するというハーバート・リードの考え方が一つの基準となっていたが,それで不都合が起こらなかったのは,一つには近代という語が近世のあとにくる特定の時代を指すものであったからである。これに対して,〈現代美術Contemporary Art〉の〈コンテンポラリー〉は〈同時代の〉が第一義であり,20世紀後半の現在に限らずいつの時代の現在をも意味しうる語であり,時代概念としての近代のあとに来る時代の固有名詞には本来なりえない。しかし,意味上のそういう制約があるにもかかわらず現代美術という語が用いられるのは,20世紀後半の特異性に対する強い自覚があるからであり,それが近代性の名で呼び習わせられてきたものとは異質であるという実感と事実があるからにほかならない。現実的に1960年代半ばあたりから,〈近代〉の概念によっては十全に理解し位置づけられない美術,つまり〈現代〉の概念によってしか把握できない美術のさまざまな動向が生まれてきている。〈現代〉という語はいずれは別の語に置き換えられることになるのであろうが,すくなくとも当分は現代美術の名で近代とは異なる新たな時代様式,様式というよりは新たな価値概念をもった時代を指し示そうとしているのである。
第2次大戦直後のアンフォルメルやアクション・ペインティングは近代美術の最終の局面を示す動向であり,続くネオ・ダダやヌーボー・レアリスムNouveau Réalismeは近代の崩壊を象徴するとともに,ポップ・アートで発現する大衆社会化状況を告知したと言える。一方で,現代という時代の様式としての反映が,ネオ・ダダや反芸術以降の諸動向のなかにはっきり現れてゆく。そのことは実は,美術思想の面では,近代美術思想の極限化が1960年代に起こっていったことと相即不離の関係にあるといえる。そして,60年代後半にミニマル・アートとコンセプチュアル・アート(概念芸術)によって頂点に達するこの極限化(〈芸術といえばそれが芸術なのだ〉というコスースJoseph Kosuthの有名な言葉に象徴される)こそ,見方を変えれば現代美術思想への転換とその開始を告げていると言える。
美術における現代を考える場合には,このように様式面とともに,というよりもそれ以上に,価値概念の側面を正しく見きわめなければならない。様式的に明らかに近代とは異質と思われるものが現れているだけでは十分とはいえず,価値概念の側面において真に近代を超克しえたときに,いいかえれば60年代にその極限化をみた近代美術思想を超える思想を論理化し,言語化しえたときにはじめて,美術上の現代が確立される。しかし,価値概念の点では現在もいまだに近代の枠内にあることは否定できないように思われる。つまり近代の超克といっても,事は美術だけに収まるものではなく,近代社会全体のパラダイムそのものが,たとえば中世から近代へと変換したような一大転換による変革を起こさないかぎり,われわれは近代という枠組みにとらえられているのである。にもかかわらず,現在の美術が,近代的価値概念には収まりきらないものを,すでに多く蓄積してきていることも,同時に事実というほかはない。
そうだとすれば,様式上の現象的な違いだけから判断してネオ・ダダ以降ないしコンセプチュアル・アート以降を現代美術と規定するといった単純な割切りでは,事は済まない。むしろ,様式や感性の点ではすでに近代とは異質な現代に踏み込んでいるにもかかわらず,価値概念の面ではいまだに近代に拘束されてあるほかはないというこの矛盾した状況そのものこそが,美術上の〈現代〉の,すなわち〈現代美術〉の最も本質的な特徴をなしていると考えるべきである。したがって現代美術とは,この〈様式概念としての現代と価値概念としての近代の矛盾〉(宮川淳)の状況があらわになったことをもって始まったのであり,つまりネオ・ダダないし反芸術的動向からコンセプチュアル・アートにかけての時期,ある幅をもった時期のなかで開始されたのである。そして当然ながらそれは近代の終息期と重なっている。
80年代に入っても,この矛盾的状況は根本的には変わっていない。70年代前半まではコンセプチュアル・アートとミニマル・アートが支配的であり,半ばころになるとさまざまなかたちでの反省,過去の再検討,近代の古典の再評価といった動きが広がり,それに伴って前衛神話の崩壊がはっきりし,また伝統への回帰も相対化されはじめ,そして現在に至っている。コンセプチュアル・アート以後は,なんらかのイズムでくくることのできる運動はほとんど現れていない。しかしそういう現況は,前衛神話や伝統回帰幻想といった,美術をめぐるほとんどすべての神話と幻想が,つきものが落ちるように消え去った状態と見ることができる。それは,ようやく個々の作家の個々の制作と作品がいわば足が地についたところで展開されるという,あたりまえのことがあたりまえのこととして受け入れはじめたと見ることができるのである。
日本の場合も,大枠においては欧米の場合に準じて理解することができる。1970年代以降崩壊したものの一つには〈インターナショナリズム幻想〉も含まれており,とりわけ最近の欧米では,個々の国,地方,民族それぞれの美術の固有性を再確認しようという傾向が顕著である。日本の場合も,日本の近代以降の美術の歴史と固有性を考慮して検討すべきだと思われる。日本のように特殊で性急な近代化を経験したところでこそ,この固有性の検証が必要なのである。それにあたっては,単なるローカリズムや排外主義に陥らないように,美術表現の国際的な水準に対する配慮を加味しなければならない。
この視点から,表現の国際的な水準を獲得し,かつ日本の現代美術に独自といってよいものを生み出しえた作家や動向をたどることで日本の現代美術を後づけることができる。すなわち,戦前の大正期アバンギャルド運動と昭和期前衛美術を前史とし,50年代後半の〈具体美術協会〉の活動から,60年代半ばまで及んだ〈反芸術〉の一連の動向,60年代中期以後のコンセプチュアル・アートの導入,60年代末期から数年間の〈もの派〉(関根伸夫,李禹煥,吉田克朗,本田真吾,成田克彦,小清水漸,菅木志雄ら),〈もの派〉および日本化されたコンセプチュアル・アートの双方を批判するところから出発して70年代後半以降に独自な表現を獲得しはじめるに至った〈70年代作家群〉(堀浩哉,彦坂尚嘉,辰野登恵子,中上清,田窪恭治,北辻良央,山中信夫,野村仁ら)の活動,これらの峰をつないだ流れが--第2次大戦からの復興→アンフォルメル旋風→60年代の欧米の各イズムの直輸入,という流れを側面史ないし裏面史として--,日本の現代美術の実質を形づくっている。
執筆者:千葉 成夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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