国指定史跡ガイド 「宇治川太閤堤跡」の解説
うじがわたいこうづつみあと【宇治川太閤堤跡】
京都府宇治市莵道丸山(とどうまるやま)・宇治乙方ほかにある堤跡。京都盆地東部の宇治川右岸に、豊臣秀吉によって築造された堤跡。秀吉は1594年(文禄3)に完成した伏見城築城を契機として、宇治川や淀川などの付け替えなど大規模な治水工事を行った。宇治川はそれまで宇治橋下流から分流して北西方に向かい、巨椋(おぐら)池に合流していたが、北方に流れる流路にまとめられて伏見城下に導かれた。発掘された堤の遺構には、護岸と水流を調節する水制がある。護岸は直線的に約400m続いたと考えられ、本来の地形を反映して工法を変えて造られている。水制には石出しと杭出しがあり、石出しはほぼ90m間隔で3ヵ所確認されていて、平面は台形状で川側の前面はゆるやかな曲線を描いている。側面は石垣を積み、石垣内部は割り石を充塡(じゅうてん)して城郭の石垣を思わせるような威容である。太閤堤は16世紀末に築造された後、氾濫のために埋没し、近代に新たに現在の堤防が築かれたことから、河川範囲から外れてきわめて良好な保存状況になった。秀吉が行った淀川水系の治水や交通に関する施策と土木技術を具体的に示す遺跡としてきわめて重要なことから、2009年(平成21)に国の史跡に指定された。京阪電鉄宇治線宇治駅から徒歩すぐ。