宇治院(読み)うじいん

日本歴史地名大系 「宇治院」の解説

宇治院
うじいん

景勝の地とされた宇治川近くに営まれた貴族の別邸で宇治院とよばれたものは幾つかあるが、最も著名なものは宇治川左岸にあった源融の別業である。「扶桑略記」寛平元年(八八九)一二月二四日条に「左大臣源朝臣融奏曰、臣之別業在宇治郷、陽成帝幸其処」とみえ、一条兼良の「花鳥余情」に「河原左大臣融公の別業宇治郷にあり、陽成天皇しばらくこの所におはしましけり、宇治院といふ所なり」と記される。「吏部王記」天暦元年(九四七)一一月三日条には「太上皇陽成宇治院、遊猟山野」とある。

「蜻蛉日記」の安和元年(九六八)初瀬はせ詣の記事には「むま(午)どきばかりに、宇治の院にいたりつく、みやれば、このまより、水のおもてつやゝかにて、いとあはれなる心ちす」とあり、ここで「わりごなどものして、舟に車かきすゑて」宇治川より木津きづ川を遡行しているが、帰京の折の記事などから考えて、この宇治院は夫の兼家が所有したと思われる宇治川右岸の宇治院である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇治院の言及

【平等院】より

…本尊阿弥陀如来。藤原頼通が父道長から伝領した別荘の宇治院を,末法(まつぽう)初年にあたる1052年(永承7)寺に改め,翌年に中心伽藍となる阿弥陀堂(鳳凰堂)を建て,定朝作の丈六の阿弥陀座像を安置したことにはじまる。以来平安末まで,摂関家氏寺として一門の崇敬を受け,師実,忠実らによる諸堂塔の建立も続いて,全盛期を築いた。…

※「宇治院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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