コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

宇津木六之丞 うつぎ ろくのじょう

3件 の用語解説(宇津木六之丞の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇津木六之丞 うつぎ-ろくのじょう

1809-1862 江戸時代後期の武士。
文化6年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩士。藩主井伊直弼(なおすけ)の大老就任とともに公用人となる。京都にいた長野主膳と連携し,将軍継嗣問題,安政の大獄などにかかわる。直弼が暗殺されたのち藩論がかわり,文久2年10月27日処刑された。54歳。本姓は古沢。名は景福。著作に「公用方秘録」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

宇津木六之丞

没年:文久2.10.27(1862.12.18)
生年:文化6(1809)
幕末の彦根藩(滋賀県)藩士。藩士古沢文右衛門の子に生まれ,13歳の年宇津木家の養子となる。ペリー来航(1853,54)があり,将軍継嗣問題と条約調印問題が争点となった安政5(1858)年4月,藩主井伊直弼が大老に就任するに伴い公用人となり,長野主膳と共にその政治指導を補佐した。万延1(1860)年3月の桜田門外の変で直弼が暗殺されたのちは,側役として新藩主直憲を助け,藩の維持に力を注ぐ。だが,直弼に弾圧された公武合体派,尊王攘夷派の復権に伴い,その圧力を予知した藩庁により文久2(1862)年10月処刑された。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇津木六之丞
うつきろくのじょう
(1809―1862)

江戸後期の彦根(ひこね)藩士。古沢氏の四男。13歳のとき伯父宇津木景俊(かげとし)の養嗣子(ようしし)となる。字(あざな)を景福と称す。物頭(ものがしら)、城使(じょうし)、表用人などを歴任し、1854年(安政1)藩主井伊直弼(なおすけ)の側役(そばやく)、58年、直弼の大老就任に伴いその公用人となる。長野義言(よしこと)(主膳(しゅぜん))とともに信任を得、安政の大獄に采配(さいはい)を振るった。62年(文久2)政変により失脚し、10月27日斬罪(ざんざい)に処せられた。著書に、幕末外交問題を知る貴重な史料『公用方秘録』がある。[藤田恒春]
『『近江人物志』(1917・滋賀県教育会) ▽東京大学史料編纂所編・刊『大日本維新史料 井伊家史料』既刊19冊(1959~ ・東京大学出版会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

宇津木六之丞の関連キーワード谷鉄臣長野たき滋賀大学勘兵衛佐吉高尾(石井高尾)恒蔵橋本湛月横川蒲汀

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone