宇都宮信房(読み)うつのみや のぶふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇都宮信房」の解説

宇都宮信房 うつのみや-のぶふさ

1156-1234 平安後期-鎌倉時代の武将
保元(ほうげん)元年生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)宇都宮氏の一族で,鎮西(ちんぜい)宇都宮氏の祖。源頼朝の挙兵にくわわる。文治(ぶんじ)元年豊前(ぶぜん)仲津郡(福岡県)城井郷地頭となるなど,北九州に勢力をのばす。3年鬼界島の平家残党を追討俊芿(しゅんじょう)に京都泉涌(せんにゅう)寺を寄進した。天福2年8月2日死去。79歳。姓は別に中原

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の宇都宮信房の言及

【宇都宮氏】より

…中世の下野国の豪族。出自については,下毛野(しもつけぬ)氏,中原氏,藤原氏など諸説がある。家伝では大織冠藤原鎌足の後裔で関白藤原道兼の流れをくみ,道兼の曾孫宗円が前九年の役のとき下野国に下向し,宇都宮座主となったのにはじまるという。下野一宮の神主を世襲して下野国中央部に勢力をもち,宗円の孫朝綱は平氏に属し,さらに後白河院の北面をつとめたとされる。朝綱はのちに源頼朝に従って各地で戦功をあげ,宇都宮社務職を安堵されて宇都宮氏発展の基礎を築いた。…

【豊前国】より


【中世】

[鎌倉・室町時代]
 1185年(文治1)に平氏を滅ぼした源頼朝は平氏方の所領を没収し,鎌倉御家人を地頭に任じた。豊前では山鹿秀遠の没官領伊方荘(現,田川郡方城町,田川市)や板井種遠の旧領田川郡柿原名,仲津郡城井郷,築城郡伝法寺荘などの地頭職と豊前国税所職(さいしよしき)などを,92年(建久3)に下野国御家人宇都宮信房に宛て行った。宇都宮氏はこの所領を景房―信景―通房―頼房―冬綱(守綱)と相伝,通房は鎮西談議所頭人,頼房は鎮西探題評定衆,引付衆に参与,冬綱は1354年(正平9∥文和3)から74年(文中3∥応安7)ごろまでの間豊前守護に任じられ,宇都宮氏全盛期を創出した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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