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俊芿 しゅんじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

俊芿
しゅんじょう

[生]永万2 (1166).8.14.
[没]嘉禄3 (1227).3.8. 京都
平安時代末期から鎌倉時代の僧。戒律宗北宋律の開祖。肥後の人。字は我禅。号は不可棄。勅号は大興正法国師,勅諡は月輪大師。14歳のとき飯田山の真俊の弟子となり,18歳で出家,翌年観世音寺具足戒を受けた。

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デジタル大辞泉の解説

しゅんじょう【俊芿】

[1166~1227]鎌倉初期の律宗の僧。肥後の人。字(あざな)は我禅。号、不可棄。入宋し、二千余巻の典籍を請来。諸宗を兼学して戒律の復活に尽力した。京都泉涌寺(せんにゅうじ)の開山。大興正法国師。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

俊芿 しゅんじょう

1166-1227 鎌倉時代の僧。
永万2年8月10日生まれ。真俊に天台,真言をまなび,のち郷里の肥後(熊本県)に正法寺をひらく。正治(しょうじ)元年(1199)宋(そう)(中国)にわたり,13年間天台・禅・律をまなぶ。帰国後,明庵栄西(みょうあん-えいさい)にむかえられて建仁寺にはいり,京都東山に泉涌(せんにゅう)寺をひらいた。嘉禄(かろく)3年閏(うるう)3月8日死去。62歳。字(あざな)は不可棄。法号は我禅房。諡号(しごう)は大興正法国師,大円覚心照国師,月輪(がちりん)大師。

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅんじょう【俊芿】

1166‐1227(仁安1‐安貞1)
鎌倉前期に戒律復興を実践した学僧。京都泉涌(せんにゆう)寺の開山。号は我禅,字(あざな)は不可棄,のち月輪大師(がちりんだいし)と勅諡(ちよくし)された。肥後国(現,熊本県)の出身。19歳のとき太宰府観世音寺で受戒し,やがて京都,奈良に遊学したが,当時の僧界が末法到来にかこつけて破戒無戒の状態であることに満足できず,1199年(正治1)34歳のとき入宋求法(につそうぐほう)の途についた。宋に留まること13年,天台山,径山(きんざん),四明山等の諸方の名刹に遊学,この間,天台,禅,真言,浄土,悉曇(しつたん),儒学を研鑽,とくに戒律は四明山景福寺の如庵了宏に師事して真要を究めた。

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大辞林 第三版の解説

しゅんじょう【俊芿】

1166~1227) 鎌倉初期の僧。台律中興の祖。肥後の人。字あざなは我禅。号は不可棄。諡号しごうは大興正法国師・月輪大師。1199年入宋し、仏典・儒書・雑書二千余巻をもたらす。のち京都仙遊寺を泉涌寺せんにゆうじと改め、天台・真言・禅・律の諸宗兼学の道場とした。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


しゅんじょう
(1166―1227)

平安末から鎌倉初期の戒律厳守の僧。字(あざな)は不可棄(ふかき)、号は我禅房(がぜんぼう)。肥後(ひご)国(熊本県)飽田(あきた)郡に生まれる。生後3日で路傍に捨てられたが、仏縁深く寺僧に育てられ、14歳で真俊(しんしゅん)に天台、真言を学ぶ。27歳より戒律を守って修行に専念、奈良と京都を往復して大小乗の戒律を究めたのち、肥後筒嶽(つつがだけ)(荒尾市)正法寺に蟄居(ちっきょ)、坐禅(ざぜん)持戒して、貴賤(きせん)を教化した。1199年(正治1)渡宋(とそう)、天台山などを経て、径山(きんざん)の蒙庵元聡(もうあんげんそう)に禅を、四明山(しめいざん)の如庵了宏(にょあんりょうこう)に律を学び、嘉興府(かこうふ)(浙江(せっこう)省)超果教院の北峯宗印(ほくほうそういん)に8年間天台を学んだ。1211年(建暦1)、律、天台、華厳(けごん)、儒道などの典籍、書画を多数もって帰洛(きらく)した。栄西(えいさい)、貞慶(じょうけい)と交遊。13年、中原道賢(なかはらどうけん)から東山の仙遊寺(後の泉涌寺(せんにゅうじ))を寄進されて住し、後鳥羽院(ごとばいん)、九条道家(みちいえ)らと親しんだ。安貞(あんてい)元年、62歳で寂。明治天皇から月輪(がちりん)大師と諡号(しごう)。著書『三千備檢(びけん)』『南山宗旨要抄』などのほか、「清衆規式」「泉涌寺勧進疏(かんじんしょ)」「殿堂房寮色目」などの遺文がある。[石田充之]
『石田充之編『鎌倉仏教成立の研究 俊律師』(1972・法蔵館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の俊芿の言及

【泉涌寺】より

…明治以後,真言宗泉涌寺派の本山となった。当寺ははじめ法輪寺,ついで仙遊寺と称したが,鎌倉時代前期の1218年(建保6),豊前国の武士中原信房が帰依していた俊芿(しゆんじよう)にこの寺を寄進,俊芿は寺号を泉涌寺と改め,律院として伽藍を整備した。有名な俊芿自筆の〈泉涌寺勧縁疏(かんえんしよ)〉(国宝)は,この翌年に造営資金を勧進して書かれたものである。…

【律宗】より

…3宗のうち,相部宗と東塔宗はまもなく衰微し,南山律宗のみが栄えて宋代まで伝えられた。日本の栄叡(ようえい)と普照は相部宗を伝え,辛苦の末に来日した鑑真が南山律宗を伝えたのであり,宋の元照(がんじよう)(1048‐1116)の律解釈は泉涌(せんにゆう)寺の俊芿(しゆんじよう)によって早速に日本にもたらされた。なお,義浄は《根本説一切有部律》を将来し,これこそ最も純正な律であると信じ漢訳したが,律宗にたいした影響は与えなかった。…

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