宇野朗(読み)ウノ アキラ

20世紀日本人名事典 「宇野朗」の解説

宇野 朗
ウノ アキラ

明治・大正期の医師 東京帝国大学名誉教授。



生年
嘉永3年10月5日(1850年)

没年
昭和3(1928)年11月20日

出生地
伊豆三島(静岡県)

学歴〔年〕
東京医学校

学位〔年〕
医学博士〔明治25年〕

経歴
累代の医家・宇野陶の長男に生まれ、東京医学校でシュルツェスクリバに学ぶ。明治14年東京大学助教授、17年教授に就任。22年欧州へ出張し、24年ツベルクリン研究のためドイツに在留し、25年帰国。26年医科大学第1外科初代教授となり皮膚病学、梅毒学講座を担当、付属医院長を兼任。30年退官し東京浅草に楽山堂病院を開設、以後診察に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇野朗」の解説

宇野朗 うの-ほがら

1850-1928 明治-大正時代の医学者。
嘉永(かえい)3年10月5日生まれ。東京医学校でシュルツェやスクリバにまなぶ。明治17年東京大学教授。26年医科大学第一外科初代教授となり,皮膚病学・梅毒学講座教授,付属医院長を兼任。30年退官し,東京で病院を開設した。昭和3年11月20日死去。79歳。伊豆(いず)三島(静岡県)出身

宇野朗 うの-あきら

宇野朗(うの-ほがら)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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