朝日日本歴史人物事典 「守住貫魚」の解説
守住貫魚
生年:文化6.7(1809)
幕末明治の画家。阿波(徳島)藩の鉄砲方の子として生まれる。名は輝義,のち定輝。字は士斎,通称徳次郎。回春斎,寄生軒と号した。初め藩の絵師住吉派の渡辺広輝に学び,次いで江戸に出,幕府の御用絵師住吉広定の門に入る。天保9(1838)年藩の絵師として登用され,王朝文化に取材した作品を描いた。大坂に移住。明治17(1884)年第2回内国絵画共進会で金賞受賞,同23年第3回内国勧業博覧会に「舟上山図」「宇治川の先陣図」を出品,金牌を受け,同年帝室技芸員に任命され,日本画壇の重鎮となった。
(榊原悟)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報