守住貫魚(読み)もりずみ・つらな

朝日日本歴史人物事典 「守住貫魚」の解説

守住貫魚

没年:明治25.2(1892)
生年:文化6.7(1809)
幕末明治の画家阿波(徳島)藩の鉄砲方の子として生まれる。名は輝義,のち定輝。字は士斎,通称徳次郎。回春斎,寄生軒と号した。初め藩の絵師住吉派の渡辺広輝に学び,次いで江戸に出,幕府の御用絵師住吉広定の門に入る。天保9(1838)年藩の絵師として登用され,王朝文化に取材した作品を描いた。大坂移住。明治17(1884)年第2回内国絵画共進会で金賞受賞,同23年第3回内国勧業博覧会に「舟上山図」「宇治川の先陣図」を出品,金牌を受け,同年帝室技芸員に任命され,日本画壇の重鎮となった。

(榊原悟)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「守住貫魚」の解説

守住貫魚 もりずみ-つらな

1809-1892 江戸後期-明治時代の日本画家。
文化6年7月11日生まれ。阿波(あわ)徳島藩の絵師。住吉弘貫(ひろつら)にまなぶ。明治13年大阪に移住。17年内国絵画共進会で「高綱宇治川先登図」「竜門」が金賞。帝室技芸員。明治25年2月26日死去。84歳。初名は輝義,定輝。字(あざな)は士済。通称は徳次郎。号は回春斎,寄生軒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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