守江村
もりえむら
[現在地名]杵築市守江
守江湾の北方にあり、古くは台地上に農業を営んでいたが、土砂の堆積と埋立によって海岸部に住居が増えた。江戸時代末期に藩の命令で港造りが進められた。守江湾を隔てた南方は一の洲とよばれ、八坂川と高山川の水流と別府湾の海流によって生じた長い砂洲がある。豊後国弘安田代注進状に「守江浦三町 戸次太郎時頼法名道恵 同次郎公継、字憚在」とみえる。安岐郷のうち。小倉藩元和人畜改帳では高二〇〇石余、家数三一・人数六四(うち本百姓六、名子・下人一一)、牛一〇とある。正保郷帳では安岐郷に属し、田方六三石余・畑方七六石余。元禄郷帳では高一四〇石余。台地上に溜池の造成が進んだ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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