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無学祖元 むがく そげん

美術人名辞典の解説

無学祖元

鎌倉中期の臨済宗の僧。宋生。許伯済の子、母は陳氏。径山の無準師範に学び、台州真如寺の住となり、のち執権北条時宗の請を入れて来日し、建長寺の住となる。更に円覚寺を創して開山となり、以後住した。祖元の法系は無学派または仏光派と称され、室町時代禅林の一大勢力となった。『仏光国師語録』等の著がある。弘安9年(1286)寂、61才。

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デジタル大辞泉の解説

むがく‐そげん【無学祖元】

[1226~1286]鎌倉時代南宋から渡来した臨済宗の僧。弘安2年(1279)北条時宗の招きで来日。建長寺に住し、円覚寺を開山。無学派・仏光派とよばれ、日本禅宗に大きな影響を与えた。諡号は、仏光国師・円満常照国師

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百科事典マイペディアの解説

無学祖元【むがくそげん】

鎌倉時代の禅僧円覚(えんがく)寺の開山。臨済宗円覚寺派初祖北条時宗(ときむね)の招きに応じ,1279年宋より渡来,建長(けんちょう)寺に住した。元寇(げんこう)に際して時宗の参禅の指導をし,その決断に大きな影響を与えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

無学祖元 むがく-そげん

1226-1286 南宋(なんそう)(中国)の僧。
宝慶2年生まれ。臨済(りんざい)宗。無準師範の法をつぐ。弘安(こうあん)2年(1279)北条時宗にまねかれて来日。鎌倉建長寺にはいり,のち円覚寺の開山(かいさん)となる。日本における臨済宗発展の基礎をつくった。弘安9年9月3日死去。61歳。字(あざな)は子元。諡号(しごう)は仏光国師,円満常照国師。語録に「仏光国師語録」。
【格言など】珍重大元三尺剣,電光影裏斬春風(「私は春風です。斬れるものなら斬りなさい」中国で寺に乱入した元の兵に首をはねられそうになったときのことば)

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世界大百科事典 第2版の解説

むがくそげん【無学祖元】

1226‐86
鎌倉中期,宋から渡来した臨済宗の僧。鎌倉円覚寺の開山。明州慶元府(浙江省)に生まれた。浄慈(じんず)寺の北礀居簡(ほつかんきよかん)について出家,ついで径山(きんざん)の無準師範(ぶしゆんしばん)に参じ,その法を継いだ。温州(浙江省)の能仁寺に住していたとき,モンゴル兵が寺に侵入し白刃をかざして迫ったが,無学は泰然として,〈乾坤孤(こきよう)を卓するに地無し,喜び得たり人空法亦空,珍重す大元三尺の剣,電光影裏に春風を斬る〉と偈を呈し,難を免れたという逸話は有名である。

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大辞林 第三版の解説

むがくそげん【無学祖元】

1226~1286) 鎌倉時代、宋から渡来した臨済宗の僧。無学派の祖。南宋、明州の人。字あざなは子元。道号は無学、諱いみなは祖元、諡号しごうは仏光禅師・円満常照国師。執権北条時宗の招きにより1279年来日、建長寺に住した。のち円覚寺開山。時宗をはじめ鎌倉武士の帰依厚く、弘安の役前後の政策に影響を与えた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

無学祖元
むがくそげん

[生]宝慶2(1226).明州,慶元府
[没]弘安9(1286).9.3. 鎌倉
鎌倉時代後期の臨済宗の帰化僧。諱は祖元。字は子元。無学は号。中国,宋の官僚貴族の家に生れたが,14歳のとき径山 (きんざん) に登って無準師範に参じ,さらに石渓心月,虚堂智愚 (きどうちぐ) らを訪れ,諸寺に歴住した。天童山景徳寺に入って環渓惟一のもとで首座をつとめていたとき,北条時宗の招きを受けて弘安2 (1279) 年6月日本に渡った。同年8月,時宗の招きで建長寺に住し,ついで同5年円覚寺開山となった。初め短期間のつもりであったと思われるが,時宗のすすめもあって終生日本にとどまる決心をし,北条氏一門をはじめ多くの鎌倉武士の教化に専念した。没後,仏光国師の号を受け,さらに後年後光厳天皇から重ねて円満常照国師の号を贈られた。その門下を仏光派といい,弟子に高峯顕日,規庵祖円らの逸材が出た。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

無学祖元
むがくそげん
(1226―1286)

鎌倉時代の臨済(りんざい)宗の渡来僧。仏光(ぶっこう)派の祖。別号を子元といい、中国明(みん)州(浙江(せっこう)省)の人。物初大観(もっしょたいかん)(1201―1268)の従弟で、物初に誘われ北居簡(ほっかんきょかん)(1164―1246)に参じたが、径山(きんざん)の無準師範(ぶじゅんしはん)の門に転じて法を嗣(つ)ぐ。同門に環渓惟一(かんけいいいつ)(1202―1281)、兀庵普寧(ごったんふねい)、了然法明(りょうねんほうみょう)(?―1308?)、円爾(えんに)らがいる。台州(だいしゅう)真如寺、雁山(がんざん)能仁寺に歴住、元(げん)軍が能仁寺に侵入したおり、「珍重(ちんちょう)す大元三尺の剣、電光影裏に春風を斬(き)る」と吟じて事なきを得たという逸話が残っている。北条時宗(ほうじょうときむね)が蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)亡きあとに、無準下の高弟環渓惟一を招聘(しょうへい)したが、環渓は高齢のため無学を代行として日本に派遣した。1279年(弘安2)来朝した無学は、建長寺に招かれて住した。1282年、時宗は円覚(えんがく)寺を開創して無学を開山に迎え、ここで彼は北条氏一門や鎌倉武士の教化にあたり、日本臨済宗の基礎を確立した。弘安(こうあん)9年9月3日示寂。仏光(ぶっこう)国師、円満常照(えんまんじょうしょう)国師の号を賜る。法嗣(はっす)に高峰顕日(こうほうけんにち)、規庵祖円(きあんそえん)(1261―1313)らがおり、高峰の下からは夢窓疎石(むそうそせき)が出ている。『仏光録』10巻がある。[石川力山]

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世界大百科事典内の無学祖元の言及

【北条時宗】より

…81年(弘安4)には再度の元軍の来寇を退け,幕府の権威も大いに強化された。時宗は若くして蘭渓道隆,大休正念に深く師事し,79年にはその招きで無学祖元が来朝し建長寺の住持となった。82年には円覚寺を建て祖元を開山とした。…

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