安庄(読み)あんどのしよう

日本歴史地名大系 「安庄」の解説


あんどのしよう

興福寺雑役免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の平群へぐり郡に「安堵庄田畠五町五反 公田也 額田西十条六里十坪一町 十一坪丁 十二坪丁 十三坪九反 廿四坪丁 飽波西九条六里七坪六反」とあり、坪付によると所在は現大字東安堵南部辺りとなる。

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「二十八安堵庄二階堂方五町五反進官分(中略)三石八斗五升二階堂負所米」とあり、延久以後は興福寺大乗院領で、興福寺喜多きた二階にかい堂は預所。



あんどのしよう

古代の多可たか郷内に成立した荘園。荘域は近世多賀たか村一帯に比定され、この地域に安堵山・つくだなどの小字が残る。

宝治二年(一二四八)九月四日の法印某譲状案(東寺百合文書)によれば、安堵庄は領家七条院(藤原重子)から法印某が伝領、鳥羽院法花堂に年貢を納めていたが、その後東寺(現京都市南区)に寄進されたらしい。その後醍醐だいご(現京都市伏見区)の勢力が増すにつれ、東寺の長官職を独占するようになり、ために安堵庄は東寺領から醍醐寺三宝院が別当職をつとめる三条坊門さんじようぼうもん八幡宮(現京都市中京区の御所八幡神社)領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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