安松村(読み)やすまつむら

日本歴史地名大系 「安松村」の解説

安松村
やすまつむら

[現在地名]泉佐野市南中安松みなみなかやすまつ新安松しんやすまつ一―三丁目・羽倉崎上はぐらざきうえ町一―三丁目

佐野村の南にあり、南東側長滝ながたき村境を紀州街道(熊野街道)が通る。正和五年(一三一六)の日根野村絵図(九条家文書)と同時期に作成されたと推定される日根野村近隣絵図(同文書)に、熊野街道に沿った北側に家屋二棟が描かれ「安松」と記される。当時、当地域での小集落形成が確認できる。「政基公旅引付」文亀元年(一五〇一)七月一一日条によると槌丸つちまるにいた三昧聖が当地で和泉国守護細川氏の武士に拉致されている。同書同二年八月二〇日条には「今日惣兵衛(佐藤)衆打出放火佐野、并□井原村之内安松等放火」とみえ、根来ねごろ(現和歌山県那賀郡岩出町)方と和泉守護方の戦渦に巻込まれ、根来方によって放火されている。


安松村
やすまつむら

[現在地名]浜松市安松町・芳川町ほうがわちよう

本郷ほんごう村の東方に位置し、西を芳川が流れる。延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図によると、馬込まごめ橋東岸で東海道から分れ、本郷村を通って当村に至る道は、当村で二筋に分岐した。一つは東へ進んで金折かなおり村に向かい、鶴見つるみ輪中掛塚かけつか輪中(現竜洋町)に至った。もう一つは石原いしはら村から向金折むかいかなおり村を経て西にし村に向かった。松平忠頼領郷村帳に村名がみえ、高二〇五石余、田六町五反余・畑一三町六反余、ほか四十六所(現津毛利神社)領三石、随正ずいしよう(瑞松寺とも、現廃寺)領一石。


安松村
やすまつむら

[現在地名]七宝町安松

遠島とおしま村の西に位置し、「寛文覚書」に戸数四五、人数二四二とある。「徇行記」によれば、概高一千一六石余のうち五四三石余は藩士九人の給知で、田は五五町二反二畝余、畑は八町四反六畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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