安楽田町(読み)あらたまち

日本歴史地名大系 「安楽田町」の解説

安楽田町
あらたまち

[現在地名]中町安楽田

東山ひがしやま村の西に位置し、杉原すぎはら川が南東流する。杉原川の氾濫により田が荒れることから荒田と名付けられたが、のちに安楽田と改められた。南は山野部やまのべ(現加美町)、西は西脇にしわき(現同上)。年月日未詳の檀那村付注文(肥塚文書)には「アラタノマツイ殿、中殿御あん」とみえ広峯ひろみね神社(現姫路市)の檀那が存在した。松井まついの字名が現存する。永正一八年(一五二一)三月一九日、守護赤松義村は後藤忠基に徳平左衛門尉(真助)知行の荒田内一所などを安田やすだ庄三ヵ所公文職半分の替地として預け置いている(「赤松義村宛行状案」後藤衛藤系伝)

江戸時代になると生野いくの鉱床に連なる銅山を中心に町屋が形成された。慶長国絵図に荒田村と記載される。慶長一五年(一六一〇)検地帳(安楽田区有文書)によると田方二六町余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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