安波茶村(読み)あはちやむら

日本歴史地名大系 「安波茶村」の解説

安波茶村
あはちやむら

[現在地名]浦添安波茶あはちや・安波茶一―三丁目・大平おおひら経塚きようづか仲間なかま一丁目・同三丁目など

中間なかま村の西、浦添断層崖の西側裾野に展開する。村内に中間村後上くしういー之殿が所在することから(琉球国由来記)、かつては中間村のうちであったと推測される。伝承では、屋号親安波茶家の先祖が小字安波茶原あはちやばるを碁盤目状に宅地割して開発した集落という。またアハチャの村名由来として、慶長一四年(一六〇九)の薩摩島津軍の琉球侵攻の際、東部を流れる小湾こわん川上流の河原(安波茶河原)が血であふれ、その河原をアブチまたはアバチ(あふれ血)と称したことによるとの巷説がある(浦添市史)。間切集成図は河原を「あはき川原」と記す。河原上流に万暦二五年(一五九七)築造安波茶あはちや橋が架かり、宜野湾じのーん間切に至る西海道が通る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む