安田純平氏の解放までの経緯(読み)やすだじゅんぺいしのかいほうまでのけいい

知恵蔵の解説

安田純平氏の解放までの経緯

内戦下のシリアで行方不明になったフリージャーナリスト安田純平氏(1974年生)が2018年10月下旬に無事帰国。3年4カ月に及ぶ長期の拘束からの解放だったが、04年イラク人質事件の時と同じく、国内ではネットを中心に「自己責任論」が広がった。
同氏が消息を絶ったのは、トルコからシリア北西部イドリブ県に入った直後の15年6月。アルカイダ系のイスラム過激派組織「ヌスラ戦線」による拉致が疑われたが、当初、日本政府は法人拘束の情報はないと否定した。翌16年3月、同氏とみられる動画がネット上にアップされ、更に同年5月「助けてください これが最後のチャンスです 安田純平」と書かれた紙を持った人物の画像が投稿されたことから、拘束の信憑(しんぴょう)性が高まった。ただし、犯行グループは組織名を明らかにせず、具体的な要求も出さなかった。帰国後の会見等で、同氏は拘束された当初は「ゲスト扱い」を受けていたが、次第に扱いが厳しくなり、あらゆる自由を奪われていったという。
その後、シリア内戦ではアサド政府軍が優勢となり、追い詰められた反体制派の支配地域は同氏が拘束されていたと推測されるイドリブ県だけとなった。こうした状況下の18年7月下旬、背後から銃を突きつけられ、衰弱した姿で「とてもひどい環境にいます。今すぐ助けてください」と語る同氏の音声動画が公開された。この3カ月後の10月23日、管官房長官が緊急記者会見を開き、同氏解放の情報がカタール政府からもたらされたことを発表した。解放交渉はトルコとカタールの連携によって行われ、一部のメディアからカタールが身代金を負担したという情報も出たが、日本政府は身代金の支払いについては完全否定している。
帰国後は、自己責任を問う批判の声が広がり、同氏も記者会見で「日本政府を当事者にしてしまったという点は大変申し訳ない」「自分の身に起きたことは自業自得である」として謝罪した。一方、こうした「自己責任論」に対する反論も噴出し、とりわけ海外メディアからは「自己責任論は民主主義を知らない無知の意見」「安田氏が謝罪する必要はない」という声もわき上がった。なお、犯行グループは特定されておらず(18年11月末時点)、同氏も「自分たちが何者かを明かさなかった」「世俗の組織ではないかと思う」などと語っている。

(大迫秀樹 フリー編集者/2018年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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