安芸国府跡(読み)あきこくふあと

日本歴史地名大系 「安芸国府跡」の解説

安芸国府跡
あきこくふあと

[現在地名]府中町石井城一丁目・本町三丁目付近

安芸国府は、国分寺西条さいじよう(現東広島市)に営まれたことから、当初は西条付近にあったとするのが通説であるが、遅くとも平安中期には府中にあったことは間違いない。「芸藩通志」所収府中村絵図には別所べつしよ(石井城)東南、ほぼ田所屋敷を中心とする地域に「国庁」の地名がみえる。

国府の広さは方八町、六町、四町などの例があるが、府中の場合、西を除く三方丘陵に囲まれていて、方四町しかとれない。試みに榎木えのき川に架かる埃宮えのみや橋から北北西に延びる古山陽道を西辺とする方四町を地図上に求めると、その四隅にはいずれも祠堂がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む