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安藤定正 あんどう さだまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安藤定正 あんどう-さだまさ

1548-1590 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)17年生まれ。今川氏真(うじざね)につかえ,永禄(えいろく)11年の武田信玄との戦いではおおくの家臣が信玄にねがえるなか,定正は最後までしたがった。のち北条氏照につかえ,さらに徳川家康の部将鳥居元忠(もとただ)に属する。天正(てんしょう)18年豊臣秀吉小田原攻めに際し,武蔵(むさし)岩槻(いわつき)城(埼玉県)攻めに奮戦,同年5月戦死した。43歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

安藤定正

没年:天正18.5(1590)
生年:天文17(1548)
戦国・安土桃山時代の武将。安藤家定の子。永禄11(1568)年12月,武田信玄が駿河に侵入して駿府今川館を攻めたとき,最後まで今川氏真につき従った家臣のひとり。駿府から遠江懸(掛)川城に逃れるが,懸川城を徳川家康に攻められ,翌12年5月には,懸川城を出て小田原城後北条氏を頼り,一時,北条氏康・氏政父子に仕えた。のち,三河に赴いて家康に従い,家康の臣鳥居元忠に属し,天正18(1590)年の小田原攻めに徳川軍の一員として武蔵岩付(槻)城攻めに参戦,先陣を務め,城下で討死した。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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