改訂新版 世界大百科事典 「安達氏」の意味・わかりやすい解説
安達氏 (あだちうじ)
鎌倉時代以降発展した中世武家。出自は不詳。武蔵国に住していた安達盛長が,源頼朝の乳母比企尼の娘を妻とした関係で挙兵以前から頼朝に近侍し,信任を得て有力御家人となる。盛長の子安達景盛が秋田城介(じようのすけ)に任ぜられてからはこの職を世襲し,城氏とも称した。代々幕府の中心にあって評定衆・引付衆に列するとともに,北条氏と密接な姻戚関係を結んで勢力を増し,1247年(宝治1)執権時頼と結んでライバル三浦氏を滅ぼす。安達泰盛のときに最盛期を迎えるが,85年(弘安8)得宗被官平頼綱の謀略によって泰盛はじめ一族の多くが討たれ,一時は没落した。しかし,93年(永仁1)頼綱が執権貞時に討たれた後,泰盛の甥宗顕の子時顕が有力幕閣となって再起し,1333年(元弘3)までの短い黄金時代を築く。また安達氏の文化活動も顕著で,景盛の高野山金剛三昧院建立,泰盛の聖典開版,高野山町石建立,時顕の法華寺一切経施入など枚挙にいとまない。
→秋田城介 →弘安合戦
執筆者:外岡 慎一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報